一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2014年8月29日金曜日

共存共栄の想い

富士山が見えない。ここずっとだ。富士山水を眺めながら移動中!

地球上では大きな課題を抱えている。
“宗教戦争”である。
戦争は最後の手段と人は言い、平和を願う気持ちは皆同じだ。しかし争いは世界中で起こっている。
なぜだろう。

相手に自分の宗教観を押し付けるときが厄介だ。
人がそれぞれの宗教観を心に秘めている間は
もめ事がない。
が一旦それが表面に出てくると牙をむき出す。
宗教による戦争は過去エンドレスに続いている。
「イスラム国」を提唱している過激派も厄介だ。

なぜ宗教で戦争になるのだろうか?
本来宗教は人間を幸福にするために存在する。
日本人の多くは無宗教だが別に生活に困るわけではない。
自分の信じる宗教が一番正しくその他は間違っていると思うから厄介なのだ。
人は何かにすがらないと、心が挫けることがある。
その時”神”にすがる事により(心の)平和を得ようとする人もいる。
それでよいのだ。

ホテルの池では鯉が元気で泳いでいる。雨の日はイキイキ。

戦争の武器も変わってきた。
科学技術を習得した若者が、まるでゲームのように遠隔で操作桿を握り、無人爆撃機で敵国を爆撃して多くの市民を殺傷している。
無人爆撃機はイラク戦争で初めて使われ今は常套化してきているという。
恐ろしいことだ。

日本でもバーチャルゲームで育った若者がまるで
ゲーム感覚で、人を殺めているニュースを聞く。

コンピュータの発達は両刃の刃に思える。
ITの技術進化とともに“人の命”を大切にするこころのケアが欠かせないのだ。








2014年8月24日日曜日

気象異変


集中豪雨のあと傷も残った河原で餌を探すサギ。

夏もそろそろ終焉を迎える。
秋への模様替えがそこここで見えてくる。
今朝もジョギングで景色の移ろいを感じながら一瞬の幸せを味わっている。

河岸の道の中腹に豪雨の水かさを示すごみがそのままの状態。

夏の盛り、独り舞台で活躍していたクマゼミが気弱そうな鳴き声で舞台を去ろうとしている。
役者が変わりツクツクボウシが合唱し始めるのだ。
この時期関東に多いミンミンゼミも登場。
僅かな温度差で関東と関西のセミの生態を知ると、
矢張り関西の方が少し温かいのだろうとおもう。

風も一時期に比べ涼しくなり、やがてセミは土に還り、秋の虫が主役に躍り出るのだ。
月日が流れても毎年の情景は変わらない。

稲は豪雨にもめげず、育ってきた様だ。

が今年は気象の異変が妙に気になる。
日本全土で風水害の被害が起こっている。
局地的な土砂災害があちこちで発生。多くの犠牲者を生んだ。
熱帯地方でよくみられる局地的な集中豪雨だ。
専門家ではないから因果関係はわからないけれど
地球温暖化が起因しているのに違いない。

これは“自然災害”で済ませる問題ではない。
安全をどう守るかのシステムが必要なのだろう。
物理的、精神的に創っていくものであり、特に地域の“きずな”も重要なキーワードだろうとおもう。

地球温暖化対策については、地球規模で考えて
いかなければならず遠大な計画だ。
それは国家間に任すとして、我々の“心がけ”から出発することも大切だ。
そう思うと私自身も反省することが多い。

いま地球上で起こっている「異変」が、
私達の“地球を大切にする心の欠如”に、
自然の神が警鐘を鳴らしているのだろう。



“因果応報”を肝に銘じ“地球環境”を
守らねばとおもう。







2014年8月16日土曜日

お盆休み


お盆時期、白く咲くやまゆり。隣に”カミキリムシ”が。

13日から会社も夏休みに入った。
私にとっては一番“自由な”時だ。
お客さまも休み。電話も入らない。
家族は早々と里帰り。
子どもはそれぞれの生活だ。

そんな“自由時間”を有効に使わない手はない。
仕事上でのお付き合いでも普段なかなか時間が
合わなくて会えない人もいる。
そんな時私のように“自由人”が他にもいるのだ。

都心のホテル。いつもは通勤の人で混雑する道路も人影がない。

14日は東京。
皆が帰省ラッシュを受けながら郷里へと急ぐ中
私は空いている“都心東京”へ移動する。
そして私と同じ“自由人”と杯を交わした。

休みの過ごし方には色々あるが休み中にもかかわらず、仕事をかかえた社員もいる。
こうした“陰”で働いている人に声を掛ける為、
時間のある限り会社に立ち寄ることにしている。
納期を目前にして責任感を背負い働く姿。
そういう責任感の強い人たちが会社を支えているのだと思うと頭が下がる思いだ。

お盆の時期、動物を大切にと良く母親から言われた。

ところでお盆の日は、地域によってさまざまだが、
都市部を除き8月15日前後ということのようだ。
なぜ都市部が7月で、地方が8月なのか?
一説によると、明治に新暦が採用されると、715日では、国民の8割を占める農家の人たちの繁忙期と
重なってしまい都合が悪かったからとの説だ。
お盆をひと月遅らせ、ゆっくりと先祖の供養ができるようにしたのだろう。

お盆とは先祖の霊があの世から帰ってきて家族と
一緒に楽しいひとときを過ごし、また帰っていくという日本古来の信仰である。

毎年この時期、誰もいない“私一人の我が家”。
何とも寂しいご先祖様だ。






2014年8月11日月曜日

台風一過

台風一過。空も明るさをのぞかせていた。

台風11号が過ぎ去った。
残されたのは破壊と復興だ。
いつも災害をもたらす台風。
技術が進化してもどうしようもない。
せいぜい出来ることは予知・予防に余念ない事だ。

楽しみにしていた会社での花火大会の観覧も台風
予報の為、中止になった。
土曜日の予定だった。
社員と家族が集まって20階の会社から淀川の花火を見る。弊社の一大イベントだ。
昨年は60名以上のメンバーが集まってお酒を飲みながらの宴会だった。
今年は早々と中止となった。残念だが仕方がない。

台風一過でも猪名川は溢れそうに濁流が流れる。
曜日。
台風はのろのろスピードで関西に上陸。
ほぼ半日かけて北の方に去って行った。
台風一過。



夕刻5時ごろから猪名川方面にジョギングだ。
猪名川に出ると、まだまだ濁流が凄い。
河底は二段になっていて
普段二段目にある川中の道をジョギングする訳だが
そこまで水が溢れて競技場まで水浸しだった。
復旧にまた莫大な費用と日数が掛かるのだろうな。
暫く元気なスポーツの声が聴けないのが寂しい。

 
埋葬したはずの小鳥は見つからなかった

先日小鳥を道端に埋葬してやったのがどうなって
いるか気になって行ってみた。

確かこの向日葵の下だった。

確かこの向日葵の木の根っこだった。
残念ながらお墓ごと水にのまれていたのだ。
辺りを探してみたがいない。
きっと土に戻ったに違いない。

安らかに眠ってくれよ。








2014年8月8日金曜日

新鮮な想い


夏真っ盛り。ジョギングコースには露地栽培のナスが穂を垂れている

「夏休み子ども科学電話相談」なる番組がある。
夏休み時期、通勤車で聞くのを楽しみにしている。
小学生までの子供たちが電話で不思議・疑問など
科学の相談をする番組だ。
子どもたちの目線からの質問なので非常に面白く
聞いている。
我々大人は、何の疑問もなく見過ごしていることが新鮮に映るとこう見えるんだ。反省することも多い。


小学3年生の質問。
「カノモシタ」は卵で産まれるのにどうして哺乳類なの??
卵で生まれてくるかどうかではなくおっぱいを飲んで育つかどうかなのよ。
それを丁寧に教えている。

台風はなぜ起こるの? 
そういえばそうだ。
なぜ起こるのかまで考えていない。
台風の渦が左巻きなのも当たり前のように疑問を
持たない。
洗面所の水も流す時には左巻きに吸い込まれる。
普段何も不思議に思わないことを子供は鋭い観察力で見ている。

命は何故一つしかないの? 
わからない。考えたこともない。
先生が丁寧に答える。
命が二つあれば粗末にするからよ。
人間も生き物もみんな同じ命は一つなの。
だから大切にしようね、と諭す。

親の日常生活が、感受性の強い幼少期に与えることの影響がどんなに大きい事か。
沢山のことを吸収してゆく幼少期の体験が
子どもの心に与えることがどれだけ大きい事か。
純粋な子どもの疑問を聴くにつれ”鏡である”親の責任は重い。

不幸な事件が続くなか、考えにふけった。










2014年8月3日日曜日

経営力とは



途中、小さな命が道端に・・・。木陰に穴を掘って埋葬してやった。

先週は時間を見つけてはジョギングした。
回りは熱中症を気にしてくれるが程々自分の体をコントロールしているつもりだ。それにしても河岸のグラウンドでは早朝からサッカーに興じている少年たちを見ていると元気をもらう。

先週の箕面祭りでは阪大生の一団がパーフォマンスを披露。夏真っ盛り。

勿論経営には多くの“要素”が必要だ。
運もある。これも“運を呼ぶ力”というものがあるのだろう。
そんな中でも経営力には“健康力と精神力”はどうしても欠かせないと思う。

私は“健康意識の低い人”には経営を任せられないとおもっている。
といえば極論に聞こえるが、多くの社員とその家族で構成されている会社は立派な”社会”だ。
そのリーダーが自分の健康管理も出来なければ、
と思うのだ。
本人一人だけのものではない。多くの人の生活が懸かっているのだという事を強く意識しなければいけないからだ。



国を治める長にあってももちろん、家族を支える長(夫婦)にあってもだ。
親が”不健康”なら子はどうすればいいのだ。

“健康力”とは五体満足にある事を言っているのではない。五体不自由でも健康な家庭は沢山ある。
それを取り巻くコミュニティが“健康”だからだ。
“健康力”は常に健康でありたいと願う気持ちが原点、これが“生命力”なのだと思う。



健康を阻害するもの、例えば“喫煙”一つをとってもそうだ。
本人の“強い意志”で習慣性を断ち切ることは出来るはずだと思うのだが、喫煙者は言い訳をする。
勿論自分で決めることだから口煩く事はない。
私は経営の立場から”健康力”が大切だと言いたいだけだ。

私のように生まれてから手にしたことがない者は例えにはならない。
が、これだけ社会的にも“健康な生活”が問われ、毎年の健康診断でも最初の言葉は“タバコを吸いますか”の設問ではないか。
これだけ健康と喫煙が相関していることを知りながら喫煙する人たちの気が知れない。



リーダと自負するものは健康に無頓着であっては“無責任”だと思う。
“自分一人”の“自分ではない”はずだ。


今日のストレスを明日に持ちこさない別の工夫(楽しみ方)が必要だ。