今朝自宅から駅までの間1kmほどを電車に間に合うため走った。もう少し余裕を持って出かければよいのにと思う。
暫く会っていない愛犬“らん”が玄関口まで追っかけてくるので、ついつい散歩に連れてゆきギリギリになってしまった。慌てるとろくな事はない。途中つまずいて危うくひっくり返りそうになったが、そこは日頃ジョギングの成果だろう。しっかり体勢を立て直すことが出来、大事に至らなかった。
“急いてはことを仕損じる”師走だからといって急ぐことはない。気をつけよう。
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最近の”らん”。これから寒くなると布団に潜り込んでくる寒がり屋。 |
“日本の高度成長”はもうすでに“死語”となってしまった。我々は高度成長時代豊かさを享受してきたが、発展途上国の成長、ヨーロッパ諸国の経済破綻、アメリカの債務超過危機、円高の錘。これらが一気に津波のごとく押し寄せている。
一体この先どうなるのだろうという不安に駆られているなか、「幸福量」という言葉を知った。
先日ブータン国王と王妃が新婚早々日本を訪問されたのだ。普段経済交流が少ない国であるが、日本中にあっという間に知れ渡ることになった。「幸福量」という言葉を運んでくれたのである。
1972年、弱冠16歳という若さで即位した国王のもと、ヒマラヤの秘境ブータン王国が「国民総幸福量」という価値観を国是として最重要視、世界の中で異例ともいえるこのヴィジョンに真剣に取り組んだ結果、今日また新たにブータン王国が世界から注目され始めている。
国民総生産 (Gross National
Product, GNP) で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものである。現在、ブータン政府は国民総幸福量の増加を政策の中心としている。
総人口70万人足らずの農業国で、起伏の激しい国土の総面積は九州程度である。ヒマラヤの雪解け水が豊富に供給され水不足の心配はなく、農業に適している。また、森林面積も国土の7割まで拡大し、自然環境保護にも努め、自然と人間の共存を目指しているそうだ。
「国民総幸福量」では、“経済成長自体が国家の目標であってはならない。目標はただひとつ、国民の幸せに尽きる。経済成長は幸せを求めるために必要な数多い手段のうちのひとつでしかない。そして、富の増加が幸福に直接つながると考えるのは間違いである。“とある。
つまり、全てにおいてまずは人間中心の政策をとっているのである。
こころの豊かさに重点を置き、それを追求し、30年経過した今、年率平均7%前後の高度経済成長を持続させている。
近代化を進めてひた走った我々にとって考えさせられる政策である。