一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2013年10月31日木曜日

ハロウィンの文化



ショーウィンドウでは色んなハロウィンデザインが

今日は“ハロウィン”
ケルト人1年の終りは1031日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていたが、身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。
これに因み、31日の夜、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては「ご馳走をくれないと悪戯するよ」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。
そんな楽しいパーティーらしい。
ジャック・オー・ランタンカボチャちょうちん)は、オレンジ色のカボチャをくりぬき、刻み目を入れ、内側からろうそくで照らしたもので、
ハロウィンの晩、家の戸口の上り段に置く。


日本では、2000年頃まではハロウィンはテレビで知るぐらいの行事であったが何時ごろからか、百貨店やお店で装飾に使われるようになり、道行く人は何となく異文化を感じながら興味を持ち始めたという事だろうか。          

アメリカで行われる娯楽行事の多くがそうであるように、日本でも最近ハロウィンが娯楽として若い家庭でも浸透してきている。
クリスマスなどと同様に、日本では宗教行事としてハロウィンを開催している例は皆無といってよく、あくまでイベントとして楽しむもので、娯楽化、商業化されたものである。

ハロウィンのパレードとしては2000年ごろからJR川崎駅前の「カワサキ・ハロウィン・パレード」が知られるようになったそうで、最近東京ディズニーランドでも園内でパレードされているようだ。
文化が多様化し形式化が進む中、日本人は実に器用に異文化を吸収して自分たちの文化に同化していくものだ。
日本人の由来はこの辺にもあるのかもしれない。

今夜はハロウィンを楽しむのもいいのではないか。






2013年10月30日水曜日

母の命日



久し振りの「らん」すっかり元気にんったが目が不憫だ。

何時までも親は親、親子の絆は強い。
母親が旅立ってもう17年前にもなるのに、
いまだ母に対する想いは変わらない。
いやずっとそうあってほしいと思うのである。
苦労して育ててくれた親の愛。
それを粗末に過ごした少年時代。
生きている間に恩返しをしたかった。
私だけでなく多くの人がそう思っているのだろう。

近くの農家のイチジク。秋盛り。

私の身近に若い素敵な母親がいる。
息子と二人暮らしで子供はもう二十歳を過ぎた。
彼が小学生のころから知っていて、一生懸命育てている姿が今でも忘れられない。
愛おしく愛情をかけて育てているのだ。
彼は成人になり、きっと私の”母親を想う”気持ちと同じで”尊敬の念”で一杯だろう。
何気ない日常性に“愛の在り方”を教えているのだ。
この親子を私は愛おしく遠くから見ている。

金木犀も秋のかおり。

今親子の関係が問われている。
親から受けた愛情(恩)は何時までも忘れることはないだろう。
そのお金で買えない“宝物”を粗末にする風潮が怖い。
子に対する虐待がニュースで目にするたびにやりどころのない寂しさが我がこととして湧き上がってくるのだ。


秋の熟した果実が美味しそう。

今日は母親の命日。
この日に仕事で“大切な契約”を控えている。
あえて今日を選んだのも私の拘りかも知れない。
きっとこの契約でまた新しい世界が広がる事を祈り、また沢山の人たちのお蔭で今がある事を感謝したい。







2013年10月25日金曜日

幸せな国に生まれて。




日本には四季折々の美しさがある

幸せな国に生まれてよかった。
幼い頃そう思った。
それから幾年月が経ち忘れかけていた気持ちが
いま湧いてくる。
中国の”激しい環境汚染”の社会を見てである。
祖先が築いてきた美しい日本を今更に感じている。


河原では小鳥たちが自由に羽を伸ばしている

日本人と日本文化を今更想い起こしてみた。
食べ物にも日本人の気質が表れている。
和食の美しさ、“色あい・味わい・姿かたち”
どれをとっても右に出る料理はあるまい。
世界文化遺産に“和食”がノミネートされたのも
その表れだろうと誇りに思う。


富士山も「日本の美」の代表選手

日本人の気質。
温和で、争わない、中庸の精神なのだ。
色彩感覚も原色の赤ではなく“モス”なのだ。
その“中庸”“曖昧さ”が時々国際社会で誤解を
受けることにもなるのだがそんなことはお構いなしだ。

日本の文化は伝統だけではない。
日本人の伝統を重んじる心と同時に“進取の心”がある。
これが技術立国としての日本を支えてきたのだろう。
そんな美しい日本に、お隣の大陸から
猛毒PM2.5が飛来してくるという。
他人事ではないのだ。
尖閣諸島がどちらの領土かなど争っている時ではない。日中協力して緊急対策しなければと思う。


事務所から眺める”夕焼け空”

日本は戦後復興の過程で地球環境を守るために多くの取り組みをしてきた。
その高い技術は世界に誇れるものだろう。
その技術をいま共有して地球環境を守っていくことが必要だとおもう。

14億の人口がひしめき合っている中国で、”車が洪水のごとく溢れ””石炭が焚かれる”とどういう事態になるかは容易に推測できるだろうに。


おしどり夫婦が遊ぶ姿

中国は古くから美しい国だったはずだ。
共産主義になり覇権主義がはびこり成長一本できたこの国は今一番大切なものを失いつつある。
TVで放映される中国の大気汚染の状況は断末魔のごとく恐ろしい。
美しい歴史を持った国がどうしてこのようになったのだろうか。
今からでも遅くはない。地球人として世界中が立ち上がらねばと思う。
それにしても”逃げ場のない”国民が可哀そうでならない。






2013年10月21日月曜日

スマホ時代

稲穂はたわわだが。日曜日は雨、稲刈りは順延だ。

数日前から右肩がしびれるように痛い。
昨年の1月にひびが入った個所だろうか、
痛くて睡眠不足に陥っている。
“時間薬”なのだろうが何か妙案があれば教えて
ほしい。

柿の木が熟してきた。先週ジョギング中の風景。

アメリカの地下鉄内で銃による射殺事件があった。被害者は見知らぬ男性で犯人は“相手は誰でも良かった”と語っている。小さな記事だった。

不思議なのは大勢乗り合わせていた車内での出来事で、射殺されるまで誰も気づかなかったという。
皆スマホを操作していたとその記事は言っている。
恐ろしいことだ。

風になびくススキの穂。日本の代表風景のひとつ。

日本でも最近、車内ではほとんど言ってもいいくらいスマホに夢中になっている。
ゲームをするもの、情報を集めるもの、LINEをするもの、それぞれに小さな画面に向かっている。周りなんかに気付かないのだ。
前にお年寄りが立っていようと、”自分の世界”に入り込んで周りが見えない。
そんな時代になった。

駅のアナウスでもスマホに夢中になってホームから落ちないようにとか、人にぶつからないようにとか、そんな注意をしている。
だんだん人は小さな画面の中に吸い込まれていっている。気づかないうちに。

秋祭りンおシーズンだ。あちこちで豊作祭りが見られる。

最近外部の会議に出席すると会議中にもかかわらずスマホの画面に夢中になっている人がいるようだ。
会議に必要な情報をリアルタイムに検索することはたまにはあるだろうが、度重なれば真剣に議論している時は実に不愉快なことがある。
ならば会議など参加しなければよいと思うのだが。

社内の会議では流石にそんな人はいない。うるさく躾けている。

便利なツールであるがTPOをわきまえて使うことが肝要だと思う。




2013年10月15日火曜日

10月“母を想う”

収穫の秋、神社では秋祭り。

僅か一か月の間にすっかり秋の気配が訪れた。季節の流れは暦通りだ。
3連休の日・月は晴天に恵まれ、日曜日は久し振りに猪名川下りを試みて尼崎まで足をのばした。
景色を味わい“自分ペース”で無理をせずだ。
時々にシャッターをきりカメラに納める。
月曜日は新大阪の会社までのジョギングだ。
流石に2連荘はきつい。
帰宅したが、ブログを書きながら眠りに入ってしまった。

秋。コスモス。母を想う。




10月、コスモスの咲乱れるシーズンは母の命日と重なる。
ジョギング途中コスモスの可憐な姿に“親を想う”心が沸き立った。
親孝行したいと思う時には親はいないのだ。

猪名川にはまだまだ自然が。

中国は“儒学ブーム”らしい。
孔子の教える“道徳心”をもう一度見直そうというのだ。
確かに中国に限らず親と子の絆が問われている。
「小皇帝」世代と言われ「改革開放」時代に成長してきた子たちは“一人っ子政策”の中で「わがままな子」として育った。
6つのポケット(両親と祖父母からの資金と愛情を受けることの揶揄)」があり、豊富な環境で育ったため特別な存在だと思い込んでいる。
一方で、成長してからは、父母と祖父母の計6人の老後を支えることになるため、経済的な負担が子供たちにのしかかってくる。
そこで孔子の儒学の教えを呼び起こし“道徳の大切さ”を推し進めているのだ。

日本の秋の風景

ちなみにキリスト教信者は一億人を超えるらしい。
1980年改革開放政策後“家庭教会”が認められた結果だ。
一人っ子政策の見直しとして“人を思いやる”“助け合いの精神”を広め人の絆を取り戻さなくては
ならない中国は難しい時代に入った。
お金だけでは幸せになれない。
“無宗教”中国はいま、“宗教と国家”を問い直されている。





2013年10月6日日曜日

「超弦理論」

天気に恵まれた服部緑地でコスモス満開
日曜日の朝、
秋晴れの清々しい天気に身も心も洗われる。
こんな日“今日も一日頑張ろう”という気になる。
10月に入り会社は新年度を迎え気持ちも新たに
”あっという間”の一週間だった。
今週も忙しくなるので体力をつけなくては・・。
折角の好天だ。
箕面の山を歩き緑地公園を経由して神崎川まで足をのばした。


NHKスペシャルを見た。
「宇宙はなぜ生まれたか~最後の難問」
宇宙や素粒子などの世界は私にとっては非日常的であり難しい。
だが番組を見ているうちに”のめり込み”、
日常茶飯の事が取るに足らぬことに見えてきた。

科学者の戦いは、宇宙の謎を解く神の数式を追い求めた歴史でもあった。
ニュートン、アインシュタイン以来、科学者たちは「あらゆる自然現象は、最終的には一つの数式で説明できるはずだ」と信じてきたのだ。
そして今年、”ヒッグス粒子”の発見によって、
人類は神の数式の完成に向け、大きく前進しようとしているとこのドキュメントは言っている。

ブラックホールの概念図(WEBから転用)

「なぜモノに重さ」があるのか。
ヒッグス粒子がこの事を証明するものであった。
もう一つの偉大な理論。
アインシュタインの「相対性理論」。
173臆年前に起こったビッグバンは、ブラックホールの底を解明することにより、ビッグバンによる宇宙創造の歴史が分かるらしい。

現在彼らがたどり着いたのは偉大な2つの理論を
含む「超弦理論」と呼ばれる最新の数式。
その数式が示したのは「物質の根源は点では
なくひもである。そして、この世は
10次元でなければならない」という事らしい。

ああ、4次元の世界しか知らない私にとって、既に私の”理解能力”を超えている。