一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2014年7月26日土曜日

父子認定の重さ

今朝は熱中症注意があったのでボトル2本をもってジョギングに出かけた。

「生みの親より育ての親」
生んでくれた親よりも、育ての親に愛情や恩義を
感じるのが人情だ。
明治時代の民法は「嫡出推定」(結婚している妻が出産した子は、夫の子と推定する)という
“子の身分の安定”を規定した。
それから100数十年、科学が進化しいまやDNA鑑定でほぼ100%の確率で生物学的に血縁が判るようになった。
いま「嫡出推定」の法解釈が問われており、
我々に厳しい選択を強いられている。

途中可憐な花が肩を並べて・・・・

また一つ最高裁で争っていた裁判の判決が出た。
妻が夫とは別の男性と交際、出産した子のDNA
鑑定で交際相手の男性との親子関係である結果がでた。生物学的には夫との父子関係がないことが明らかになったのだ。
しかし判決は違った。
「DNA鑑定で血縁がないと証明されても、
それだけで一度決まった父子関係を取り消すことは出来ない。」血縁よりも“子の法的な身分の安定”を選んだ。
異論もあろうが現法上の精神を現わした決定だ。

水辺の鳥がゆうゆうと・・

DNA鑑定の精度の進化は素晴らしい。
この事による利点は多い。
本人特定が出来て冤罪等の防止に効力を発する。

が、こと法解釈になると判断が分かれ正論が葛藤することが多い。

親子の関係もそうだ。
助産所で赤ちゃんを取り違え、知らないまま親子の関係が築かれた場合。
不倫関係で生まれた子供が父親の知らないまま父子の関係が育まれていく場合。
等々さまざまな場合。

DNA鑑定だけで親子の関係を決する事の難しさは当事者にとって想像に絶する。

「性同一性障害」の男性と妻が第三者から提供された精子で子を授かった場合の子の親権の場合も、
民法の「摘出推定」(子の身分の安定)が適用。
このケースなどは民法制定時の想定外のことだ。



DNA鑑定など新しい技術が進化し
いま“心情”と“事実”が真っ向からぶち当たり裁判官の心を揺さぶっている。

時代が変わり夫婦関係も多様化する中、何らかの形で法改正が必要であろう。






2014年7月21日月曜日

セミのシーズン

梅雨明けでいよいよ夏本番だ。

少し前7月初めに沖縄に行ったときには、今年初めてのセミの声を聴いた。
暫くして、会社の木立にも沢山のセミの声が聴こえる。
いよいよ梅雨も明け、夏本番!

この一週間は早朝ジョギングを続けたが、
今朝はお休み。
ゆっくりした一日を過ごすことにした。
朝ぶらりと外に出るとジャンジャン~とクマゼミの鳴き声が響きわたっている。
耳をつんざきそうな嵐声。


何故か東京ではクマゼミを見ないけれどそのうち温暖化が進み・・・

そういえば、以前“セミ捕り”といえばアブラゼミがたくさん捕れたものだ。
その頃“クマゼミ”は貴重なセミで、自慢し合っていた。
黒い体に透き通った羽根。
すばしっこくてなかなか捕れない。
おしりを突き立てて鳴く姿は子供たちにとっては
憧れなのだ。
ところが最近“アブラゼミ”の声を聴かないのは気のせいかと思って調べてみた。


アブラゼミが愛おしくなった。

思い過ごしではなかったのだ。
大阪市立大学での研究では、1960年代には大阪市内で稀に観測される程度のクマゼミが爆発的に増加し1980年にはアブラゼミと生息比率が逆転し、2000年代には都市部ではクマゼミが95%を占める様になったそうだ。

主な原因は温暖化と言われているが異常繁殖はそれだけが原因ではなさそうだ。

一つに言われているのがアブラゼミに比べクマゼミの飛行能力の高さだ。
中型の鳥類にとってセミは格好のエサなのだが鳥類の糞を調べたところ捕食されたセミはアブラゼミばかりでクマゼミはほとんど無かったそうだ。

緑地が少なく逃げる場所が無い為“高く早く”飛行できるクマゼミと比べ能力の劣るアブラゼミが捕食される率が高いと考えられる。

もう一つは繁殖能力の違い。
クマゼミの卵管は非常に強靭でアスファルトを突き通して産卵が可能だそうだ。

いずれにしても今では“アブラゼミ”が捕れたら“大アタリ”。











2014年7月9日水曜日

台風接近!!



仕事で沖縄に出かけていたが台風が近づいてきたので早めに戻った。
たまにはゆっくりしようと先週金曜日から出かけたが、肝心の仕事スケジュールを組んでいた7日(月),8日(火)に台風接近!!
慌ててスケジュールを変更したがほとんどがキャンセルになった。
7日中に戻らないと8日は欠航になることが決定。



そんなわけで“沖縄休養”だけとって大切な打ち合わせが出来なかった。
まっ、たまには息抜きせよという事か。
結局、ご覧の通り超大型台風。
戻ってきて正解だった。
何とか空席待ちで乗れたからよかったけれど、
ダメなら多分関西を通り過ぎる11日頃まで足止めだったろう。

それにしても日本列島を弓のように通過して
行きそうな進路を見ていると
まあ何と“ずばり台風列島”だなと思う。



それに輪をかけて最近の異常気象が気になる。
温暖化の影響がエルニーニョ現象に繋がっているかもしれないし、そうすれば潮流が変わり気圧配置が変わる。
台風も進路がふさがれ停滞したり強烈に大型化したりする。
“桶屋”の話ではないが連鎖を起こして地球上に
異常現象が起こるのである。



自然現象は、ひょっとしたら我々の日常生活での“CO2排出”が温暖化の原因になり、廻りまわって自らの首を絞めているのかもしれない。







2014年7月2日水曜日

プログレッシング・ロック


7月に入ってそろそろ七夕。駅の構内では既に笹が飾られている。


ジャズ音楽に興味がない人には、つまらない話かもしれない。

学生時代にジャズ音楽の世界を知り、その“自由度”にひかれたことと、今の事業を立ち上げる基本の考えとは意外に符合する部分があると今思う。


クラッシック音楽とは違い、ジャズ音楽の”表現の自由度”は圧倒的に大きい。
“アドリブ”という世界である。
詳しい説明は避けるが音楽には「小節」があって
最低の決まりごととして和音の取り決めをする。
各楽器はその範囲で自由に演奏し自らを表現したり、他の演奏者を盛り立ててゆくのである。




今朝NHKのニュースの話題で“プログレッシング・ロック”が紹介されたので聞き入った。
クラッシック演奏者が弦楽器を使っての演奏だったが心が弾けんばかりに踊らされた。
'70年代はじめにイギリスを中心に起こった音楽。
変拍子や複雑な楽曲構成を持つロックで、斬新なサウンドを展開する。ロックというジャンルにとらわれることなく、他ジャンルの影響を反映した、前衛的あるいは先進的(プログレッシブ)な音楽といえるだろう。

ジャズロックから見た先進性。
クラッシック音楽から見た先進性。
という「見る角度」によって違いがあり、現代音楽とのクロスオーバー・ミクスチャーという意味では高度な技術を有するのであろうと思う。

この一瞬の刺激的な音楽が、日々忙殺され、
失いがちな”私の自由度”をふと思い起こさせた。

もうすぐ梅雨あけか。夏祭りのポスターが目につく。

「集団的自衛権」等、政治・経済の何ともならない“閉塞感””虚無感”の中で自らが持つエネルギーの原点は何なのかを想い思い起こしてみた。
こうして迷った時に行き着く場所は学生時代に培った“自由度”なのだろう。
世界が“戦い”という“乾燥地帯”に、はいらないよう祈って止まない。