一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2013年2月24日日曜日

冬と春のせめぎ合い

東京のホテルのお庭、紅梅が咲き誇っている



まだまだ寒い日々が続いているが、やがて三寒四温。冬と春のせめぎあいが始まる。
この時期ジョギングも控えめで週1~2回のペースに落ちた。早く暖かい春が来ないかなと思う。

白梅も可憐で美しい。
先週も出張が続いた。
前半は東京だったが、ここでも春の兆しの紅白梅が寒空に映えていた。

JASPA会議終了後、三々五々集まって、名刺交換の場。

後半は淡路島でのJASPAの運営委員会。
毎月全国を回って会議は開かれているが今月は関西が担当だ。寒い2日間であったがちょっと地面を見ると新しい芽吹きを見たりすると、“春よ早く来い”と待ち遠しくなる。

神はそれぞれに形を変えて”生命”を与えた。
パンジーの顔をみていると可愛い女の子のような表情だ。
不思議だと思う。
この地球上に色々な生物がそれぞれの役割を持って生きている。
傲慢な言い方をすると、頂点に人類がいるとしたら犬もいてサルもいて魚もいて木々もいて草花もいて皆それぞれ役割を持っているのだ。
神はそれぞれに役割を持たせたのだ。
野菜を育てる農家の人は野菜に語りかけながら育てるという。
愛おしく育てると野菜も素直に育ってくれる。
万物すべてそのようだ。
森の中の木々までも風に吹かれて話しかけながら生きているのであろう。
犬はなおさら人の気持ちがわかる。いつも話しかけているからだ。
我が家の“ランちゃん”は廊下でおしっこをするとソファーの下などに隠れてしまう。いけないことをしたと反省しているからなのだ。

この地球上で人間の役割はなんだろう。
この“生物たちの美しい共存”を永遠に引き継いでいくことなのだろう。
日頃から草花に話しかけ、樹木に話しかけ、動物に語らい、人々に語らい、
“愛おしさ”を与えることで、人はどれだけ安らぐことであろうか。
人が皆そう考えると社会のすべてのことが解決するように思うのだがそうはいかないのが人間社会の“生々しさ”だ。

2013年2月17日日曜日

こわ~い話

都心のホテルが取れなくて横浜山下公園近く泊まった。

先週は出張先のホテルが満席!これから受験シーズンに重なりなかなか予約しにくいことを承知しておかねばと思う。

ベンチャーの社長と一緒に行った隠れ家酒場”横浜ブギ”。
最近“怖いはなし”が身近に迫っている。と言っても幽霊話ではない。
“世紀末”的状況を”ハルマゲドン”という。
宗教用語でハルマゲドンとはアブラハムの宗教における世界の終末的な”善と悪の戦争”や”世界の破滅そのもの”を指す言葉である。
歴史上、終末思想は、しばしばカルトの信者獲得や教祖の自己実現に利用されやすく、”オウム真理教”による一連の事件などを引き起こすことが少なからずあった。

政治の街”永田町”の隣、平河町。途中仕事で立ち寄り。

そういう状況になりかねないのが北朝鮮の挑発・
中国との尖閣諸島問題・韓国との竹島領土問題。
更に降って湧いたような“微小粒子PM2.5”問題である。

そもそもPM2.5とは何者だと思い調べてみた。
日本の環境基準の測定の対象になる粒子の定義としては、粒径10μm以下のものとされている。
発生源は主に工場のばい煙、自動車排気ガスなどの人の活動に伴うものだ。
呼吸器系の各部位へ沈着し人の健康に影響を及ぼす。
年平均100mg/m³になると呼吸器への影響、全死亡率の上昇などがみられることなどが知られている。

日本では高度成長期以降、度重なる規制強化がなされ、2003101日から、排出ガス規制でディーゼル車の走行規制が始まった。これらの規制強化により、近年は、改善傾向にある。
一方中国での大気汚染がひどく、それが偏西風に乗って日本の領土に降り注いでいるというのだ。
黄砂だけでも迷惑千万だがことPM2.5による死活問題となると隣の国の出来事では済まされない。
そもそも小さな地球上で領土の多くを占める中国が世界の迷惑を顧みず大気汚染をまき散らしている。
このまま放置すれば“戦争による終末”ではなく、“環境汚染による終末”を迎える事となる。

“美しい地球環境”を末裔に伝える責任がある我々が、世界と共同して一刻も早く”微小粒子PM2.5“問題を深刻に受け止め、解決していかねばならないと思う。

2013年2月11日月曜日

泣くこと

最近徳島、淡路に行く機会が多く大橋を渡ることが増えた。


先週はHISCOで洲本温泉に行ったり、連休は娘のフィアンセが自宅に来るというので大わらわだった。
普段手抜きしている部屋を大掃除。こういうイベントがあるからお蔭で綺麗になった。
その間もジョギングしてストレスを解消しているが、ここちょっとバテ気味。
無理をしてはダメということかな。

北淡震災記念公園での生々しい現場を見るにつけ、思い出して涙が止まらなかった。
この世に生を受けた赤ちゃんが一番最初に喋ることばは“泣く”こと。
痛くて泣く、お腹がすいて泣く、眠たければ泣く。
そう思えば、泣くことが我々人類が最初に発する“ことば”だ。
すごい感動ではないか。

洲本の海岸の早朝、人影もなく静かな波打ち際で一人たたずんだ
ある日静かな電車の中で突然乳乳母車に乗った
赤ちゃんが泣きだした。
若いお母さんがあやすが泣き止もうとしない。
きっとお漏らしして気持ちが悪いのだろう。
とか勝手に想像しながら、泣いてもいいよ、
誰も迷惑してないから、慌てずに“どうして泣いているのか”ゆっくり聞いてあげなさい。
お母さんに心の中でそう言って励ましてやった。

赤ちゃんが生まれたときの一番の表現方法は
“泣くこと”だ。
それから短い時間に沢山の“ことば”を覚えやがて“がまん”することも覚える。
そうして大人になるまで我々は本当にたくさんの “がまん”することを覚えた。
生きていることは“がまん”する事ではないか
とまで思ってしまう。
我々は日常生活の中で、“我慢”することで、
幸せを他の人とシェアリングすることもあるし、
その分誰かを“幸せ”にしていることもあるだろうと納得している。

でも時々“我慢”出来ないこともあるだろう。
それが色々な事件を生んでいる。
最近の世の中“心配事”が多い。
身近な家族・兄弟親戚と言われる血縁で事件が起こっている。
想像を絶することが安易に起こってしまう“今”を憂うのは私だけだろうか。
どうして短絡してしまうのか、当事者だけの問題だけではなく社会の風潮も含め、根深いものがあるように思う。

2013年2月3日日曜日

冬景色と小鳥たち


箕面川で餌をつむぐシラサギ。すぐ住宅地で見ることができる。


冬の景色は時に殺風景になる。
雪が降れば雪景色としてこの地では珍しく
皆がはしゃぐのだが、いつも見る猪名川の河岸は
枯れ木と灰色の景色だ。
そんな中、水色に映えた空を仰ぎながら”鳥 発見”のジョギングに猪名川コースを選んだ。

”冷たいだろうに”は人が想う事、オシドリの”カモ”

冷たいだろうに、冬の河。
元気に水辺を泳いでいるカモたちの姿を見るにつけ“翼をもらった”鳥たちは水辺で泳ぎながら生涯を送ることになる。
翼をもたない人類はその代償として知恵をもらう。
この”知恵”が、時には大きな災いを生むことにもなるのだ。
とそんなことを想いながらジョギング途中、随分多くの鳥たちに出逢うことができた。

河原の草むらで餌をつむぐ小鳥。何鳥だろう?”ヒヨドリ”??
時々に沢山の小鳥たちがあったかい光を浴びながら少ない餌をついばんでいる。

上空から舞い降りた”ヒバリ。相変わらず澄んだ鳴き声だ。

季節外れのヒバリが上空を長時間停空飛翔したあと、草地に降りてきた一瞬をとらえることもできた。
時々に出会う鳥たちの一瞬を収めるのもまたジョギングの楽しさだ。
尼崎に着いて、くだんの“蕎麦屋”で昼食を済ませ帰路についた。
河原で見つけた”水仙”殺風景な中に清楚な姿。

今日も充実した休日を満喫した。
明日からまた頑張ろう。