最近徳島、淡路に行く機会が多く大橋を渡ることが増えた。 |
先週はHISCOで洲本温泉に行ったり、連休は娘のフィアンセが自宅に来るというので大わらわだった。
普段手抜きしている部屋を大掃除。こういうイベントがあるからお蔭で綺麗になった。
その間もジョギングしてストレスを解消しているが、ここちょっとバテ気味。
無理をしてはダメということかな。
北淡震災記念公園での生々しい現場を見るにつけ、思い出して涙が止まらなかった。 |
この世に生を受けた赤ちゃんが一番最初に喋ることばは“泣く”こと。
痛くて泣く、お腹がすいて泣く、眠たければ泣く。
そう思えば、泣くことが我々人類が最初に発する“ことば”だ。
すごい感動ではないか。
洲本の海岸の早朝、人影もなく静かな波打ち際で一人たたずんだ |
ある日静かな電車の中で突然乳乳母車に乗った
赤ちゃんが泣きだした。
若いお母さんがあやすが泣き止もうとしない。
きっとお漏らしして気持ちが悪いのだろう。
とか勝手に想像しながら、泣いてもいいよ、
誰も迷惑してないから、慌てずに“どうして泣いているのか”ゆっくり聞いてあげなさい。
お母さんに心の中でそう言って励ましてやった。
赤ちゃんが生まれたときの一番の表現方法は
“泣くこと”だ。
それから短い時間に沢山の“ことば”を覚えやがて“がまん”することも覚える。
そうして大人になるまで我々は本当にたくさんの “がまん”することを覚えた。
生きていることは“がまん”する事ではないか
とまで思ってしまう。
我々は日常生活の中で、“我慢”することで、
幸せを他の人とシェアリングすることもあるし、
その分誰かを“幸せ”にしていることもあるだろうと納得している。
でも時々“我慢”出来ないこともあるだろう。
それが色々な事件を生んでいる。
最近の世の中“心配事”が多い。
身近な家族・兄弟親戚と言われる血縁で事件が起こっている。
想像を絶することが安易に起こってしまう“今”を憂うのは私だけだろうか。
どうして短絡してしまうのか、当事者だけの問題だけではなく社会の風潮も含め、根深いものがあるように思う。
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