一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2011年4月30日土曜日

内閣官房参与・辞任の意味すること


いよいよ連休に突入した。毎年私にとっては遅れ気味の仕事のペースを回復するのにちょうど良い機会だと思っている。昨日は天気が良かったので3時間ほどかけてゆっくりとジョギングできたし、ジムでトレーニングのあとサウナで汗を流した後のアルコールが程よく眠りを誘ってくれた。今日は頑張って仕事(趣味?)を片付けようと思う。

会見で涙ぐみ絶句する小佐古敏荘氏

内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東京大教授(61)=放射線安全学=が辞任した。
東京電力福島第1原発事故の政府対応を「場当たり的」と批判。
特に小中学校の屋外活動を制限する限界放射線量の基準を年間20ミリシーベルトに決めたことに「容認すれば私の学者生命は終わり。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」と涙ぐみ絶句する中で辞任会見が行われている。
小佐古氏は、学校の放射線基準を年間1ミリシーベルトとするよう主張したのに採用されなかったことを明かし、「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は原子力発電所の放射線業務従事者でも極めて少ない。
この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と主張した。
「子ども20ミリシーベルト」については専門家にも賛否があるが、国際放射線防護委員会(ICRP)が原子力事故の収束段階で適用すべきだとして勧告した年間許容量1~20ミリシーベルトの上限を根拠に採用しているそうだ。それを子どもに適用することに対し理解することが出来ないと私も(素人ながら)思う。
文科省は「余裕を持って決めた基準で、実際に年間20ミリシーベルトを被ばくすることはない」と説明するが「子どもを大人と同様に扱うべきでない」として他の放射線の専門家からも異論が出ている。
重要な意見が封印され、日本の将来を背負うべき子ども達の安全を、今我々が守らねば将来に禍根を残す結果となるだろう。
全てのことが後手になっている体制を早く変えてゆかねばとあせる気持ちは私だけだろうか。

2011年4月28日木曜日

自然との共生の大切さ

週初めの月曜日は早朝会議があるので、ジョギングすることはほとんどない。今週は早く起きたので久しぶりに走った。
5時過ぎに出発して箕面の滝まで山道をゆく。もう外は明るくなり陽がさして来た。陽が昇る前の暗い時間に滝までのぼり下ってくる人とも出くわす。ほとんどの人が通り過ぎるときに「おはよう!」の挨拶を交わす。心地よい。一体感というか同じ気持ちで今日も頑張ろうね!という気持ちでもある。

箕面山瀧安寺の緑

瀧に続く山道の緑。
つい数週間前までは“さくら”の晴れやかな姿を見ながら駆け上った山道がいまは新緑に囲まれ季節の移ろいを感じる。
写真にとらえた一瞬は何のことはなくても、実は時間軸は刻一刻と進んでいる実感はいろんな場面で遭遇する。
私達は朝目覚めて今日も一日無事でありますように祈る。
その繰り返しで毎日が刻々と過ぎる。記憶はプレイバックしても、時間軸は戻らない。人は齢を取る。それは皆平等だ。
いかに一刻を大切に生きるかが充実に繋がるのだろうと思う。
箕面の滝に行くことでまたこういう気持ちを思い起こし今日も頑張ろうと思う気持ちに繋がればいいと思う。
そして挨拶を交わす皆が幸せにまた明日挨拶が出来ることを祈るのである。
こんな平凡なひと時を奪った東北の自然災害、いや人災が悔やまれる。

2011年4月24日日曜日

ツバメの季節

4月の初旬に初めてツバメを駅の近くで見つけて以来、その数が増えて元気に飛び交っている。駅舎の狭いところを猛スピードで飛び器用にUターンを繰り返している。そのことを例えて剣法で“ツバメ返し”という言葉がでたのだろう。
駅舎の営巣夫婦”4月20日23時”
箕面の駅にはツバメの巣がいくつもある。毎年この時期には戻ってきてそこで巣作りをしている。自然との共生で駅員も昨年の古い巣を取り崩すことなく、また戻ってきたツバメ達の為にふん害が起こらないようボール箱で囲っている巣も見られる。きっと乗客とのトラブルを避けながら共存する知恵であろう。

駅舎のダクトの上にも営巣

駅員の心遣い”ダンボールに囲まれた巣”
駅舎看板の上の”夫婦”









ツバメは夏鳥として春先に飛来し、4月と7月に産卵、子育てをし、巣立ちしたヒナは河川敷で集団生活をし10月ごろ数万羽の群れをなして南の越冬地に旅に出るそうだ。翌年必ず同じ場所に戻ってきて営巣するのを見ていると、自然界の不思議を感じる。
ツバメはヒナや卵を天敵(カラスやすずめ)から守るため、民家の軒下など人の住むにぎやかな場所に営巣する習性があるそうでこれも“ツバメの知恵”なのだろうか。これから暫く朝の通勤が楽しくて毎日カメラを持参している。
まだ巣づくりをし始めたばかりで、夜、帰宅途中に覗くと夫婦が寄り添って寝ている姿が見られる。ヒナが生まれて忙しくえさ採りに飛び回るのも近いことだろう。時の移ろいは早くその頃には田植えの時期となるのである。
さて大型連休ももうすぐ。遠くに行くのもよし、近くを散策して新しい発見をするのも良いだろう。


2011年4月19日火曜日

東京の元気が原点

昨日から東京事業所に出張した。事務所前の靖国通りの桜並木の花はすっかり散り、緑が一段と映えていた。先週は満開だった桜並木であるが本当に一週間の移り変わりの速いことに驚く。人の心もこんなに早く移ろうのだろうか。

靖国通りの桜もすっかり緑に
2日間の滞在は私にとっては辛い。“東京の元気”はそがれ重くのしかかる重圧感。震災の後遺症、原発の事後処理。一生懸命今を容認し大丈夫という気持ちを確認しながら前に進まなければならない現実。東京こそ私のビジネスの原点と思えばなお更に“東京”こそであった。そして私にとっては創業の原点は“東京で成功すること”に変わりない。しかし今東京は見えない恐怖がそれを阻んでいる。東京に住む娘に会った。なんと言うこともなく普通に生活している。が親として色んな心配がめぐり早く結婚して地元に帰ってくることを願ったりする。所詮娘の人生だから私がとやかく言うものでもないのだが人の人生まで気になり始めた。年をとったのだろう。私達が求めているのは、このあと我国が何処に彷徨うのかはっきりした答えがほしい。目標が定まればそこに邁進する力は我々民族にはあると信じてやまない“確信”ではないのだろうか。それをかなえるのは“強いリーダーシップ”である。“国を背負う人”は国を、“企業を背負う人”は企業を、“家庭を引っ張る人”は家庭をしっかりと引き連れてゆく“リーダーシップ”がいま求められている。私にも小さな会社ではあるけれど、皆を安心して導くそんなリーダーシップが求められているのだろう。皆頑張ろう!!

2011年4月17日日曜日

生きのびる力

土曜日から“愛犬らん”は家族と実家に帰り、居ない。寂しいけれど今朝はゆっくりと寝ることが出来た。たまにはいい事だ。まわりに影響されることなく今日は存分に走ることにした。まず五月山まで走り猪名川を下った。ここまではいつものコースだが何故か海が見たくなって、猪名川の果て大阪湾まで走ることにした。これは冒険である。多分4時間はかかる。
途中猪名川に「鯉のぼりの川流し(川渡し)」の光景があった、各地で見られるようだが川にたくさんの鯉のぼりが渡される季節行事らしい。春たけなわである。
猪名川で”鯉の流し”風景、春爛漫。
時間に縛られることもなく気楽に走っていったわけだが、下流になるほど何とも言えない悪臭がする。山のふもとの清廉な水が河口近くになるとここまでの臭気に包まれるのかと正直びっくりした。
上流では流れていた水が河口近くでは動かない。止まっているのだ。そのため色が変色し澱んでいる。
政治も経済も国家も企業も“澱む”という例えはこういう状態なのだと思う。
どんどん河口に近づいて行くにつれ、魚が水面から跳ね上がっている。
一匹ではない。沢山の魚が音楽を奏でるようにパシャ・パシャ・パシャって。
水が流れていないので水中の酸素がうんと少ないのだろう。
こういう環境で育っている魚は生命力が強いのかもしれない。そして何代か続くうちその環境で生きていく遺伝子が変異していくのかもしれない。生命の遺伝子はそういうものだろう。
太古から人が生まれ魚が生まれ鳥が生まれたのはまさにそういう環境適応性なのかと変なところで感じ入った。
河口の環境で、“かもや白鷺”も泳いでいる。強い生命力だと思った。
生命が生きていく“限界”というものが仮にあるとすれば、“自分がここまでだ”と思ったらそこで止まる。ここまでなんだろう。生命はそこで“変異”という奥の手を使って環境順応性を図ってゆくのではないかと思う。
地球上の生命が“人類・鳥・魚・動物”いろいろな形で分化して生き延びているのはそういうことだ。
東北も苦労している。この苦労は人類全てが負う試練である。決して他人事ではないことを皆が共有しているはずだ。同時に共有が大きな財産になってゆくと信じてやまない。

2011年4月14日木曜日

世界が注視・日本の政治力



朝、目覚めてベッドに横たわったままTVのスイッチを入れると、流れる被災情報。急に気分が欝になる。この時間はベットから跳ね起きてジョギングの準備をするけれど、ここ2~3日気分が乗らない。連日の余震に加えて一向に進まない原発対策。いよいよレベル7になったという。政府の発表では“レベル7”でもチェルノブイリの1割の放出量だから心配ないという。そんな説明では誰も安心などしていない。
世界中が日本の被爆を大きく報道し日本にいる外国人は次々と本国に戻ってゆく。ここは何が何でもこれ以上に被害が大きくならないように問題解決をしてほしい。日本の技術力が問われる最後のチャンスである。
マグマの上で生活している我々は常に危険と背中合わせである。
特に日本列島には複数のプレートが交叉している地震国である。
当然想定される危険を乗り越える知恵と投資を惜しまないで、後世末裔に亘ってすばらしい大地であり続けてほしいと願っている。    


東京事業部の近く、「皇居北の丸の桜」。
急に春らしい気候が続き、大阪では造幣局の桜通りの通り抜けが始まる。
先日今年になって初めてツバメが一羽目撃したが、今朝は数羽が飛び交いながら巣作りをはじめたようだ。暫くわくわくしながら見守ってゆきたい。
周りはすっかり春への模様替えの様子であるが、ブラウン管の向こう側に映し出される光景は未だあてもなく彷徨う日本国がある。
小沢一郎氏がこの現状を憂えて菅首相の震災対応を批判「さらなる災禍招く」とし、「初動対応の遅れをはじめ、首相自身のリーダーシップの見えないままの無責任な内閣の対応は、今後、さらなる災禍を招きかねない」などと厳しく批判した。
地方統一選挙では自民1,119名に対し民主348名と惨敗に終わっている。
この時期ブルトーザのような牽引力とリーダーシップをもったリーダが国難に立ち向かわなくてはならないと切望する一人である。


2011年4月10日日曜日

春爛漫

今日は最高の花見日和。天気もよかったので猪名川下りゆっくり三時間コースを走った。といっても走ったり歩いたり写真撮ったりで普段より余計に時間がかかった。猪名川の手前の五月山公園はちょうど桜祭りで大勢の家族連れで朝早くから賑わっていた。途中“ウグイスの谷渡り”「ホーケキョケキョケキョ・・」と澄んだ鳴き声が心地よく響いて二重に春を満喫した。
満開!五月山の桜
東北では春花見どころではない。厳しい避難生活が毎日が続く中、先の見通しも見えない苦しみを我々がどんな形で支えることが出来るのだろうか。
じゃ我々もひっそりと静まり返っていることがいいのかといえば、それは日本全体が沈んでしまうことに他ならない。我々が元気を出して経済活動をして国を維持しそれが被災地に還元される循環を創ることが、“一番の支え”だと思う。

今回の事故の結果、計画停電と節電を誤解し、東京の街でさえ「暗く」なってしまい、外国人が気味悪がってしまう事態になっていると聞く。交通機関が受けた打撃の後遺症も未だに残っている。震災のダメージに加えて自粛し過ぎて経済がダメになったら日本は本当に沈没してしまう。首都圏から関西への疎開もあり大阪の不動産業者が忙しくなったとか、またコンサートやレストランがこぞって省電をしているせいで、“商売あがったり”と言う人はたくさんいる。
地下鉄「溜池山王駅」乗換え通路も”節電”で真っ暗!
大前研一が緊急提言している。「電力使用制限~節電ではなくピーク抑制で経済への打撃を最小限に」抑えるべきであると。
私も同感であり“計画停電による経済的なダメージ”を避け「節電よりもピーク時の圧縮」などを柱とすべきと思う。

もう少し分かりやすく言えば、電力は蓄えることは出来ない。従って供給可能な量を制限することではなく、電力供給可能量を超えるときに停電になることから“そのピークを抑制する”事が重要なことである。こんなときに注目すべきは揚水発電であると大前氏は提案している。以下引用すると次の通りである。「東電の管内には意外と多くの揚水発電所がある。東電全体のキャパシティの約10%に当たる442万kwhの揚水発電が可能だと言われている。夜間の余裕があるときに余剰電力で下池から上池へ水を汲み上げておき、夏の暑い昼間などに上池から水を落とすことで発電することができるからです(揚水発電)。」

「最後に「警報システム」を作るべきだと考えています。地震警報や津波警報と同じように、消費電力量が供給上限の5%以内に迫ってきたらテレビや携帯電話を通じて、国民に警報するという仕組みです。国民一人ひとりに「あとどの程度余裕があるのか」に関心を持ってもらうのです。花粉情報などと基本的に同じ仕組みですから比較的スムーズに導入できると思います。もし「5%以内」になったら、冷暖房、テレビ、電灯、PCなどは止め等々。」これはすばらしいアイディアだと思う。是非やってほしいと思う。
重要なのは絶対に停電は避けることであり特に電気が必要な商売や産業は原則停電しないということだ。

2011年4月6日水曜日

京都大学教授、藤井聡氏の提案

今朝出勤途中、箕面駅の近くで“ツバメ”を見た。今年初めてだ。ようこそ日本へ!今“原発事故”で海外に戻る外国人が多い中、はるばる遠くから日本に渡って来てご苦労様。夏過ぎるまでゆっくり子育てに励んでください!


衆議院での京都大学教授、藤井聡氏が力強い宣言をされた。提案内容を早稲田大学理工学術院総合研究所の外村孝史氏が要約し私にメールをお送りいただいた。大事なことは、大震災・原発事故で日本が沈んでいると、日本発世界大不況(恐慌)になりかねない、そうならないためにも、日本政府は、徒にGDPを落とすことなく、成長も見込みながら復興を成就させる、という内容である。
①今日本は瀕死の重傷をおっている。「もはや日本は立ち直れない」というような不安と絶望的な機運がある。また今回の地震以上の被害をもたらすといわれている東海地震が30年以内に起きる可能性が50%~87%ある。それ以上の被害をもたらすといわれている首都直下型地震が30年以内にくる可能性が70%ある。
②国難に直面し、この国難を克服するために強い国家が望まれる。
③強い国家にするのに何が必要か。町や村、国が生き残れるかどうかの不安を抱くようになった。この時代に求められているのは、”永続的に滅びない強靭な国家創り”である。3月11日をもって、豊かな国づくりの夢は終わり、生き残りをかけた国創りの時代にはいる。数々の巨大地震に耐えうる強靭な、「日本復興計画」が必要である。この日本復興計画は私(藤井教授)のホームページにも掲載してある。
④”日本復興計画”には二つの柱がある。一つは「東日本復興5ヵ年計画」もう一つは「日本列島復興10ヵ年計画」である。
⑤「東日本復興計画」とは、「ふるさと再生計画」であり、直接の援助は言うまでもなく、就労支援型の救済が必要。被災地救済のための事業を起こし、雇用を促進する。国はすぐに法人を立ち上げ、数万の雇用を作ることが肝要である。
それを遂行するためには、何十兆円の財源が必要。そのような金はないという人がいるが、それは全くの事実誤認である。日本は今デフレが進んでいるが、150兆円の金が銀行に眠り使われないままになっている。民間企業の弱体化のために、”銀行はその莫大な金を貸しおしみしている”のである。そのために金利が抑えられている。この莫大な金を運用するため、国債を発行して、復興に当てるべきである。今求められているのは積極的な金融政策である。子ども手当てを被災者救済資金に移転し。被災者への特別減税も実施すべきである。
この時に絶対避けなければいけないことが一つある。それは過激な自由貿易に組しないということ。つまりTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)から撤退することを政府が即時宣言することである。海外依存型経済から自国向け経済に移すべきである。もしTPPに参加すれば、第二の津波が押し寄せることは必定である。東北地方は食糧供給地である。TPPに参加して安い農産物が外国から自由に入ってくれば、東北の農民は復興する気力さえなくしてしまうだろう。
⑥次に「日本列島強靭化計画」であるが、大規模な資金が必要である。先にも述べたように日本は十分な資金がある。八ッ場ダムや、スーパーダムの建築は洪水を防ぐために必要であるのは工学的に明白である。そしてこれらのダムは電力を供給できる。原子力発電については、科学的に冷静に検討すべきである。
「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズのもとに、公共事業が削られてきた。今回の津波は日本一高い堤防を乗り越えてしまった。しかし堤防によって町が救われたところがあるのも事実である、リスクコミニケーションの普及により人が逃れて多くの人命を救ったことも事実である。「コンクリートから人へ」によって公共事業が削られ、多くの人が亡くなった。
甘い、耳障りのよい言葉、人命の尊さを無視するような言葉を二度と口にしないでもらいたい。そのことを一専門家として声を大きくして述べたい。
⑦冷静に考えれば、日本が強い国に復活することは十二分に可能である。財源はある、技術も十二分にある。後は「政治判断」だけである。強靭で強い日本にするために、巨大地震に耐えうる、国難に耐える強靭な国を創るために政治決断が今一番求められている。

以上要約をお送りする。私達日本人のこれからの“元気”のあり方を考える一助となればと思って敢えて長文をご紹介した。”頑張ろうにっぽん”。

2011年4月3日日曜日

お地蔵さん

やっと春らしくなったと思えばまたまた寒い日曜日の朝。厚めのジョギングスタイルで出かけた。服部緑地の桜が気になって緑地コースを選んだが、いつも通らない道を選んで新しい発見をしながら走った。桜は四分咲きくらいだろうか。この様子だと今度の土日が満開だ。帰路は阪急宝塚線沿いに走り、蛍池駅前の蕎麦屋「轟庵」で昼を取ったが安くて美味しかった。
服部緑地の桜は”四分咲き”来週は満開か。
家の近くにお地蔵さまがある。毎朝その前を通って通勤するが、献花が絶えたことがない。畑に咲いた季節の花だろうか、今朝は黄色い菜の花が生けてあった。
地域と子供の安全を願って夏には各所で地蔵盆が行われて賑わうが、小さい頃の思い出が詰まっていて大人にも懐かしくもあり楽しい行事だ。
日頃から生活の一部としてだれかれとなくお地蔵さまの世話をして周辺は綺麗に清掃されている。これが近隣のきずなの原点なのだろうと思いながら毎朝すがすがしい気持ちで通り過ぎる。通勤の途中、散歩の途中立ち寄って手を合わせてお祈りしている姿も少なくない。
こんな幸せな街があって一方ではこの世とは思えない惨事が東日本の人たちに襲いかかり、二重三重の災難に見舞われている姿を日々思うにつれ辛い。早く立ち直れるよう私達一人ひとりが小さいことでもよい、まず出来ることからはじめることだとおもう。
お地蔵さんのすぐ近くの交差点では近くに通う小学生の安全を見守って赤ジャンパーのおじさんがいる。雨の日も風の朝も冬の日も夏の日も、一日と欠かすことなく街角に立って登校の子供達に挨拶を交わして安全を見守っている。
もうどのくらい続いているのだろう。少なくとも私の娘が通う10数年前にはすでに立っていたように思う。地域のきずなはこうした小さな協力から広がってゆくのだろう。赤ジャンのおじさんありがとう。東日本の被災地の方々にも早く地域社会が、きずなの社会が戻るようお祈りして止まない。