一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2012年9月30日日曜日

時手紙(ときてがみ)

ジョギングコース。稲刈りの直前の”台風”直撃が心配だ。
10月1日は新年度の始まりだ。
期の始めの挨拶は例年の行事であるが延期した。
営業が一斉に1日朝からの打ち合わせのために
直行になったからだ。
恒例の挨拶が延期されたことは寂しいが、
新規お客様へのアプローチが増えたことは新年度のスタートっとして嬉しいことだ。
新年度10月1日から名古屋の仕事もスタートする。
社員一同気合いが入っている。
私も明日1日は東京で打ち合わせがあるので直行だ。台風が近づいているので今日中に東京移動することにした。
新大阪の駅は、台風を避けるため早めに移動する人でごった返している。
皆考えることは同じなのだ。道中運休にならなければいいが・・・

海辺の文学記念館

愛知県蒲郡の“海辺の文学記念館”の“時手紙”というユニークな企画が評判を呼んでいる。
川端康成(ノーベル文学賞受賞)や大正・昭和初期の多くの文人たちに愛された、旅館「常盤館」の趣を再現した文学歴史記念館である。


子供の頃学校ではタイムカプセル”を地中などに埋めた経験があるだろう。
みんなで寄せ書きし自分の将来の夢を書いたりしたものだ。
これが“時手紙”だが“タイムカプセル”よりずっと響きがいい。
“時手紙”は未来の自分へのメッセージや、未来の自分や家族、大切な友達への手紙を預かってくれて希望する年月に送り届けてくれるサービスである。
指定した年数が経過したら届くタイムカプセルは”夢を届ける企画”で素晴らしい。
自分に宛てた手紙を出すことのロマン。きっと多くの人が同じ思いだろう。
我が身を振り返り、そんな想いとは程遠いこの10年であったと思う我が身がいささか不本意であるが。これからも“夢を追い続けよう”

2012年9月23日日曜日

HISCO仲間とバーベキュー


服部緑地でのHISCO”BQQ”は好天に恵まれて盛会だった。

土曜日は我々IT業界仲間の協同組合HISCO   
で秋のバーベキュー親睦会を開催した。
雨で順延が続きやっとの開催だ。



  
事務局を中心に皆で力を合わせて開催できたという喜びが一番だが、高畑道子社長((株)FM.Bee)        
  http://www.fmbee.com/index.html に尽力いただきおいしいステーキを大量に購入いただいて
会の盛り上がりはピークに達した。





総勢50名が集まり楽しい催しだったが、何よりも各会社の社員さんが楽しそうに交流を図っている姿を見て、会社の枠を超えて仕事ができる喜び、可能性を我々経営者がもっと積極的に取り組むことも必要だと思う。
今度組合共通のカタログ(会社案内)を創ろうというムードもありユニークな動きができるかもしれない。HISCO関西の組合社員をトータルすると1000名近くの規模になる。
大手と十分に対抗できるパワーだ。


そんなことを考えているといつも“イオン”の成功を思う。
1753年岡田屋が創業され、中小の小売業店が次々に合併し、ジャスコが誕生。
その後“イオン”へと大きく発展していく。
いずれITの世界も中小ベンダーの集結が大きな
パワーになるときが来るかもしれないと以前から予感している。
反面一国一城を築いた社長間で“俺が俺が”の世界から脱却できるかどうかが大きな課題だろうと思う。

関西経済の活気がない。パナもシャープもサンヨ-も早く元気になってほしい。11月にはリストラ組が就職戦線に参入してくる。心配だ。

幸いわが社の売り上げは伸びている。
が東京が大阪を追い上げ抜いてきた。
構造的に関西が落ち込んでいるのだ。
営業力の問題もあろうが何とか関西企業としては
関西を元気にせねばならない。
”東西が拮抗しながら両者が伸びてゆく”
そんな競争の仕組みを社内に作ることも必要だが
この時期そんなことを言ってはおれない。
“関西元気”を創ることだ。

2012年9月20日木曜日

笑顔を生むことば

家に帰ると最初にお出迎え、”おかえり”の声。元気になってよかった。

85歳のシスター渡辺和子女史。
2・26事件の時、父親が目の前で銃殺されるのをみて、心に大きな傷を負った女史が18歳でキリスト教の洗礼を受け、以降宗教家として人の傍に寄り添って生きている話である。
先日NHKで紹介されて初めて知ったが“笑顔で生きる”ことの大切さを教えてくれた。

たまたまわが社の決算期に当たり、売り上げの追い込み等で連日会議を開いている。
ピリピリした会議ではつい目を吊り上げて話す事がある。
期首に事業計画を立てその進捗を管理しながら期末近くになるともう一押しの声がかかる。
そんな時期にこの番組である。
ふと我に返って自分の顔を鏡でみると何とした“仏頂面(ぶっちょうづら)”なんだろう。
これでは周りに不機嫌をまき散らしているではないか。
“にこやかに仕事をする”のも“不機嫌に仕事をする”のも心の持ち方一つだが、なかなかそのような気持になれないのが“凡人”なのだろう。

女史はいう。
“何もできなくていい。笑顔でいればいい。”
正にテレビに映る女史の顔をみていると、こちらまでにこやかな中に引きずり込まれる。
“笑顔”とはこういうものなのだろう。
笑顔でいる人を見て、不愉快に思う人はいないだろう。

女史はこうも言う。
“苦しいからもうちょっと生きてみよう”。
今の“いじめっ子”にも、“いじめられっ子”にも、このことを知ってもらいたいとも思った。“苦しみの先にきっと希望が開けてくるだろう”と。

最後に
“置かれた場所に咲きなさい”と締めくくった。
なんと謙虚な言葉だろう。
それにしても”仁徳のない己”をいまさらに知ったのであった。

2012年9月16日日曜日

シャープ“100周年の重み”

秋。猪名川で少年サッカーチームのそばに咲いた花。”母親の想いでの花”だ
日曜日、天気が良かったので久しぶりに猪名川を下り尼崎まで行った。ジョギングしながらデジカメで夏から秋への変化を感じてながら・・・。

わが社が30周年を迎えたことは以前のブログで書かせてもらった。30年の間バブルを経験し、経済の波はこれでもかこれでもかと襲いかかってくる。
そんな中でもしたたかに生き延びてきた私自身、ちょっとほめてやりたいと思う。

シャープがこの15日に100周年を迎えた。
凄いことだ。
しかし素直に喜べないという。
“晴れの式典”も取りやめたという。
今嵐の真っただ中で世間の風はそれどころではないのだ。
全社員にとって悔しい想いであろうと思う。
きっとこれをきっかけに全社一丸再生を図ってほしいと心から思うのである。
先日浜松町の新社屋でデモルームのお披露目があり招待された。得意とするLED技術と太陽光発電の最先端の技術がここではご披露された。


住宅用太陽光発電システムタッチディスプレイLED照明


圧倒した“日本の技術”がなぜこうも低迷するのか。
韓国や中国の後塵を拝して良いのか。
ここにも日本政府の不甲斐なさを感じる。
経済が世界規模で蠢いている中、韓国は大統領自らが営業を買ってでて国を挙げて企業を後押ししている。我が国の政府は何をしているというのだ。
無策の政権が延命を図っているだけではないか。
その間世界構図が大きく変わっているにもかかわらずである。
1912年創業者の早川徳次氏がベルトのバックルを発明したのが始まりでその後シャープペンシルを発明し後の社名になったと聞いている。この100年止まることなくユニークな製品を生みだしてゆき今の会社を築き上げた。

我々“夢を追い続ける”会社にとっては何時も励みであった。“松下”にしろ“三洋”も然りである。
その一角が崩れようとしている。
出資交渉をしている台湾の鴻海精密工業には弱みをみとられ、振り回されまるで“バナナのたたき売り”ではないか。我々から見ても悔しくてならない。
もっと国力を挙げて支援すべきではないか。
それが日本経済の活性化、大阪経済の活性化につながると思うのである。
14日午前奥田社長は社員への訓示でこう述べたそうだ。
“痛みを分かち合ってくれる皆さんに、心から申し訳なく思う。難局を乗り越え、新しいシャープに生まれ変わる決意だ“
是非再生して日本の技術を世界に知らしめてほしいと心から祈っている。

 

2012年9月12日水曜日

ちょっと目を離せば・・・


秋の風物詩、案山子(かかし)が見られるようになった。もうすぐ稲刈りだ。
ジョギング中の田園風景、住宅地に囲まれているが空気を吸っていると元気が出る。今日も頑張ろうという気持ちになる一瞬である。

先日のNHKスペシャル、東日本大震災「追跡復興予算19兆円」を見た。
巨額の予算「復興増税実施(10年間)」で所得税が来年から一律2.125年間上乗せされることになっている。

問題はこの19兆円のうち被災地には使われていない予算が幾つもあるとしてそれを調査したNHKの番組だった。
“痛みを分かち合う”。国民は総意で予算執行を納得している。
25年もの永きにわたっての所得税増税。その上にこの度の消費税増税だ。国民の負担は並大抵ではない。
ただその復興予算が“復興にかこつけて”他の予算に流用され、被災地に一部が届かないとすればいただけない話だ。
番組の冒頭。沖縄の海岸沿いの国道工事が大写しにされ、これが大半復興予算から出ているという。なぜだろう。

岐阜県関市の大手コンタクトレンズ製造メーカで新しいラインへの設備投資、これも復興予算(補助金)。なぜだろう。
将来仙台にある営業所で雇用を増やすことができる可能性があるとの理由だ。
政府が決めた基本政策の中に「活力ある日本全体の再生」という文言があるために被災地以外にも使えることになったとのこと。
そのほか低炭素社会を実現する電気自動車の燃料電池の素材を開発する事業。
北海道の刑務所と川崎の刑務所でおこなわれる職業訓練。

公安調査庁のテロ対策。反捕鯨団体対策関連費。国立競技場の補修費等々、被災地以外に使われる予算は判っただけでも2兆円を超えるという。
もっともらしい理由付けをしているのだろうが納得できるだろうか。
新幹線から富士に広がる田園風景。ここにも秋が。
懸命の思いで復興しようとしている地元以外に予算が回っているとしたら国民に対して約束違反ではないか。民意に反している。
津波で壊滅的な被害を受けた街の復興は遅々として進まない状況を知るにつけ、憤りさえ感じるのである。ひと時も目が離せない。

2012年9月9日日曜日

おのぼりさん


首都高速で”つくば”まで。途中東京スカイツリーを横目に。
先週6日につくばの産総研(産業技術総合研究所)に行った。
K大学と産学共同開発を進めようとしており、その要素技術としてのMEMS(Micro-Electro-Mechanical-Systems)を活用できるかどうかの検証をすることになったからだ。
東京駅からは高速バスでつくばセンターまで行くことにした。
というのは首都高速に乗るとちょうど”東京スカイツリー”の傍を通るからだ。
わざわざ行くほど暇はないけれど、道中見えるのだからこれに越したことはない。
天気も良く実は仕事よりワクワクしていた。
思惑通りバスの中から何度かシャッターチャンスがあり、この写真は結構気に入っているので早速アップした。
まったく“おのぼりさん”なのだ。
まっ、我々出張族はこのくらいが特権で、あとは汗だくの苦行難行が続くのだ。
特に今年の暑さは尋常ではない。
とうとう夏の間ネクタイもせず、半袖で、当然上着も着なかった。
“ないない”で過ごしたのだ。
クールビズという“大義名分”が立つからそれに甘えさせていただいている。


一時間ほどバスに揺られて産総研に着いた。
今更に驚いたのは広大な土地に静かなたたずまい。
セミの声が静けさをかき消すようだが自然を残しながらうまく調和している。
こんな環境で日本の先端技術が培われていると思えば、日本も捨てたものではない。
我々中小企業もこういった技術を活用して  “Only One”製品を創ってゆく努力をして行かねばと高ぶる気持ちで打ち合わせに臨んだ。
私たちに持ち合わせのない技術をどう探し出せるか。これも非常に重要な事なのだ。
そのために日頃から“耳をダンボ”に、情報を整理しておく必要があるのだろう。

2012年9月4日火曜日

防災訓練で“釜石の奇跡”を教訓に


ジョギング中、すでに稲穂が・・・。もうすぐ稲刈りだ、時間が経つのが早い!
先日報道で“釜石の奇跡”という言葉を聞いた。
3.11の津波で多くの犠牲者を出した釜石市で、小中学生2921人が津波から逃れた。学校にいなかった5人が犠牲となったが、99.8%の生存率は「釜石の奇跡」と言われる。
下校途中の子、友達の家や公園で遊んでいた子、自宅にいた子。中には海に魚釣りに行っていた子もいたと言う。
中学生たちが地震後すぐ、「津波が来るぞ」と叫びながら、避難場所へと走った。

両親のいる家に向かおうとする子に友達が引き留めた。「駄目だよ。高い所に逃げなくちゃ」。
屋上に避難しようとした小学生たちが、逃げる中学生を見て後を追った。一緒に避難場所の介護施設へ。「ここも危ない」と判断した子どもらは、さらに高台へ急いだ。中学生たちは小学生の手を引き、介護施設のお年寄りに手を貸した。津波は介護施設にも到達、間一髪で助かった。
それぞれが自らの判断で命を守っていたのだ。

“防災マップ”“下校時の訓練”“防災の授業”この三つの成果が大きいと関係者は語る。
「奇跡」を生んだ防災教育の背景には何があったのか。

「想定に縛られず、自分の命は自分で守れ」の教えが大きいという。

一つ目は「想定にとらわれるな」。想定外の事態に対応できなくなる。
二つ目は「最善を尽くせ」。津波が襲来したら、できることをやるしかない。
三つ目は「率先避難者たれ」。一生懸命逃げる姿が周囲の命も助ける。
こうした教えが今回生かされた。

家庭内では日頃こんな会話をしていた。「僕は絶対に逃げる。信じて。だからお母さんも逃げて」
一人一人が自分の命に責任を持つことが先人の教えだと思う。
そのためには家族間の信頼関係が大切だろう。

この“釜石の奇跡”は我々大人に教えられることが多い。
災害が来ても“まさか”という心の隙である。
職場のビルでも時々防災訓練を実施しているが
仕事優先で参加しないこともあった。
“訓練”という言葉に危機感が吹き込まれていなかったと反省する。
“訓練する”ことにより“体に”“脳に”染み込ませることが重要であるということを、今回は教訓として遺してくれた。
折しも”南海トラフ”を想定した防災訓練の時期がくる。