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IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2011年2月12日土曜日

”絆社会”をとり戻そう!!

ここ数日寒い日が続いている。昨11日は箕面に雪が積もった。
休日ではあったが月例会議のため出勤したが、出勤前30分ほどウォーキングをした。雪が珍しいものだから、写真を撮りながら風情を楽しんだ。
桜満開!?雪化粧の樹木。

椿の赤がくっきりと美しい。
無縁社会。
孤独な一人暮らしが増え、看取られないまま孤独死する人が増えている。
自然の摂理は、ほぼ同数の男女を創り子孫を残す仕組みは出来ている、
にもかかわらず男女の間でボタンを掛け違えたり、独身を通す人もまた多くいる。一時期アメリカでは離婚が増え、日本もやがて離婚がそう珍しくなく身近に感じるようになった。
その人たちが年齢を経る結果、孤独な人生を味わってる人も増えてきた。
また隣近所、親戚、親子関係も薄れ、気がつかないうちに孤独死をしている人もいる。
よく落語の世界で人情話を聞くことがあるが、昔は向こう三軒両隣、お米貸しての世界があったと聞く。出来た食卓のおかずを隣近所に持って行ったりである。歴史が文化が、どんどんと人間関係を薄いものにしていっている。
お隣さんを車で“どうせならどうぞご一緒に乗りませんか”と声をかけることも無くなった。事故があったら大変である。だから余計なことはしないほうが無難。そんな気持ちである。
それでも朝ご近所の方にお会いすれば“おはようございます”と声をかける。
暫く会わないとご主人どうしたのかな?と余計な心配をしてしまう。
通学の学童は集団登校のために待ち合わせ場所で皆を待っていると“おはよう”と声をかければ“おはようございます”と答えてくれる。当たり前の光景だ。常日頃からまわりに一言声をかけることから始まり皆がその気持ちを持つだけでも“社会の一員として孤独ではないと”思うことが出来るとおもう。一人住まいから、“部屋のシェアリング”も良し、“共同生活”も良し。いろいろな試みがされている。”孤独死”は行政だけで解決できる問題ではない。”米の貸し借り”文化を復活させ、近隣に住んでいるものが皆これも何かの“ご縁”だと思う気持ちで住めば又楽しい世界が広がるのではないか。少しでも多くの“ご縁”が繋がれば良いと思うのだが。

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