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IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2012年3月9日金曜日

啓蟄(けいちつ)



我が家の”らん”もそろそろ”啓蟄”。そろそろ冬眠から覚めるころだ。

今週は“啓蟄”(けいちつ)が過ぎたというのに、また寒さがぶり返している。まさに三寒四温だ。
虫も土の中から顔を出そうとしたら、寒くて首をすっこめている様子を想像していると滑稽に思える。
そもそも“啓蟄”は太陽暦の二十四節気の一つで季節を表すのに用いる中国古来の語である。
普段よく口にするのは立春、春分、夏至、立秋、秋分、冬至等々であるが一年を24等分した季節を表す言葉に“啓蟄”がある。いい響きの語である。
“啓”は「ひらく」、“蟄”は「土中で冬ごもりしている虫」の意味で、文字通り地中で冬ごもりの虫が春の到来を感じ、草木が芽吹くと同時に地上に這い出してくるという意味だ。
土の中から虫が這い出すのは可愛いが、マグマが現れては困る。
そういえば3.11以来、盛んに地震に対する備えを訴えている。避難訓練も盛んだ。元々地震国家。“備えあれば憂いなし”なのだが、どうしたら被害を最小限に食い止めらえるのか時々考えさせられる。
私など出張が多いので、いつ何時遭遇するかもわからない。
新幹線で移動中かもしれない、高速道路で運転中かもしれない、高層ビルにいるかもしれない、埋め立て地で液状化に見舞われるかもしれない。
そんなことを考えているともう何をやっても防ぎきれないのだと思ってしまう。
我々は地下にもモグラのように道を作った。その結果いざ洪水になれば、たちまち水路になってしまうではないか。
確かに便利な社会になった。もうこの社会からさよならすることもできない。
とすればこの便利さと危険さの背中合わせの中で何も起こらないことを祈りながら生きるしかないのだ。
既に個人の自己責任の範囲を大きくかけ離れ、個人ではどうすることもできない社会構造になってしまった。考えるほどにむなしさが残る。

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