一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2011年3月31日木曜日

郷に入れば郷に従え

昨日東京出張から戻ってきた。今年は全国的に寒い日が続いたので桜の開花も遅いようだ。入学式のあたりに満開、そのほうが春らしくてよい。
新幹線に乗る前仲間と会った。バイオベンチャーの関澤社長、アジレントテクノロジーの成松元社長、友人の中村氏(左から)とで夢の話が弾んだ。こういうひと時が一番いい。早く原発収束して元気になろう。
ベンチャー社長関澤氏を囲んで”夢のはなし
関西と関東の文化の違いに行き来していると気がつくことが多い。
東京・大阪は多くの人がお互いに混ざり合っているのに、混ざりきれないところがあるのだろう。これだけ情報網(メディア)が多様化しているのでお互いの文化が同化してもよさそうだがそうでないのが不思議だ。だから独自性があっていいのかもしれない。
政治・経済・文化・しきたりで見てみると共通している部分がある。
政治の面では首都機能があることから首長の選択肢は政策論から入ってゆくが、関西は比較的メディア露出度で決まることがある。お笑い芸人が首長になることがあったりだ。
経済面で見ると東京は入札の世界でしかるべき手続きを踏んで落札をすることになる。一円でも安いほうが原則受注することとなる。大阪は商人の町。ソロバンを弾きながら顔をつき合わせて決めてゆく。駆け引きである。
文化面では、大阪はお笑いの町。「上方落語」の文化がやがてメディアの力で漫才・バラエティショーへと脈々と続いてゆく。吉本新喜劇にいたってはまさにそのものである。言葉が悪いが”どつき漫才”のようにアクションで笑いを誘うやや下品である。江戸の笑いはあとで笑いに気がつくようなちょっと気取った笑いじゃないかと思う。(これは主観)
”しきたり”も違う。大阪は(京都も含めて)しきたりにうるさい。時々うんざいするが、長年続く文化なのだろう。一方東京といえば多くの地方出身者の集まりだから、特にしきたりにはこだわらない。その点江戸時代のしきたりは一部の地域を除いては消えてしまった。
”しきたり”ではないが東京と大阪でエスカレータの乗り方がちがうのが不思議だ。左側の手すりを持って立つのが東京。右側は急ぐ人のために空けられている。ところが大阪ではこの逆で、人は右側に立ち、左側を急ぐ人たちが通る。みな何故なんだろうと思うけれど、誰もその理由はわかっていない。朝日新聞の記事によると大阪のこういう習慣は1970年の大阪万博で出来たという説がある。大阪に日本で初のエスカレータが入ってきたのが万博の年。多くの外国人が訪れることもあり左を空ける国際標準を採用。阪急梅田駅が「お急ぎの方は左側をお歩きください」とアナウスしたのが始まりという説がある。
東京の場合の左寄せ右あけの源流は定かではない。
観光地京都に行くともっと複雑だ。毎年数千万人の観光客が訪れることから、大阪流と東京流が入り乱れている。エスカレータによって右になったり左になったり。まったく歩きにくいのである。
ま、どちらにしろその土地に行けばその土地の習慣を楽しむ気持ちで「郷に入れば郷に従え」。それぞれの文化の違いを楽しめばいいと思う。

最後にもうひとつ東京と大阪の違い。
自動改札機が投入されたのは大阪が最初らしい。
大阪のプリペードカード(スルット関西)は10円でも残金があれば改札入場できるが、東京のプリペードカード(パスネット)は最低運賃(1区間)以上の残額がなければ改札入場できない。
単に設計仕様の違いなのか、誰が意図したのか関西と関東の文化の違いが読み取れそうな気がする。ただ東京はいまパスネットがなくなりSUICAに変わったのだが。


2011年3月27日日曜日

リスク管理と「データの二重化」

今朝は晴れ。日曜日なのでいつもより遅い持間からジョギングした。寒い朝だけれど適度の汗が気持ちよい。さくらの樹木の先にこんもりとつぼみが膨らんできた。もうすぐかな。
桜のつぼみも膨らむ五月山
先週25日は給料日、東北地方で沢山の方が辛い生活を余儀なくされているのを思うにつけ少しでも役立つことはないかと思うが、同時に己の力なさが歯がゆくてならない。
突然降りかかった国の災難。しかしどんな異常事態が起ころうと、どんな経済の変化に飲み込まれようとも、国は国民の安全を守り、企業人は安全に仕事の舵取りをし、会社を継続させることこそ勤めだと思う。頑張ろう。

「リスク管理」という言葉が最近よく使われる。リスクを避けるために考えられる手段を予め想定するわけだから、リスク管理に“想定外”があってはならないと思うのだが、今回の震災に始まる一連の事故に対してしきりに“想定外”を言い訳にしている。
以前のブログでも書いたが、便利さに慣れてしまった現代社会に沢山の危険が背中合わせであることをもう一度しっかりと見つめ、身の回りを点検して“想定”を限りなく広げてゆかねばと思う。
巨大津波に役場が跡形もなく流され住民台帳を失ったという。その結果2週間以上経つのに行方不明者の人数さえ正確につかめていない。これは大変なことだ。
我々ITの業界にいると常に重要なデータは二重化して保存することを常としている。以前から銀行業務とか保険業務とかの台帳は必ず例えば東京と大阪の両方のデータセンターに同時保存して、災害に備えている。
予算の兼ね合いで重要情報を二重化していない地方自治体も多くあるのではないかと思う。国民の生命を守ることの重要性と同時に住民台帳が担保されることも重要であることが今回はっきりした。是非全国レベルで見直しをしてほしいと思う。
原発の心配はまだ収束に至っていない。国民こぞって祈る思いである。

2011年3月24日木曜日

求められる総指揮官

三週間ぶりの東京出張だ。神戸でのHISCO(協同組合)のイベントやら東日本大震災などが重なって足止めになっていた。新幹線から見る朝の富士山が輝いて見えるだろう、そう思って昨日晴天の大阪を出発したが、あいにく静岡はくもり。日本中が途方にくれている今、輝ける富士を見たかった。永く東京・大阪を行き来していていつもは車中でPCを開き仕事をしているのに、これほど富士山を見たいと思ったことはない。日本に相応しい司令塔がなくて国民が右往左往している。富士山のような凛々しい総指揮官が望まれている。

あいにくの曇り空で姿を見せない”富士山”
この日本に悪夢が訪れてはや2週間が経とうとしている。つい先ごろまで“平和”を空気のように感じていた私はこの突然の悪夢を今も信じたくない。
新幹線を降りて地下鉄丸の内線で赤坂見附に向かった。省エネによる消灯、エスカレータが止まりまるで休日の東京のように人がいない。いつもは込み合う電車もゆっくりと座れた。不気味だ。
当たり前の元気な“首都”は何処へ行ったのか。
長引かねば良いが・・とまた原発の無事終了であってほしいと思う気持ちへと思考がめぐってしまう。
東日本震災は被災者だけの問題ではない。私達国民がこの“恐ろしさ”を決して後生忘れることなく後世に伝えてゆかねばならないし、今は兎も角一途に被災者の支援をしてゆかねばならないと思う。
再び平寧な市民生活に戻れるよう原発の収束を願ってやまない。

2011年3月21日月曜日

原発事故に思う

すっかり暖かくなってジョギングコースの桜が咲いていた。早咲きなんだろう。緑地公園の梅が真っ盛りなのに、早くも桜か~。これからの季節の移ろいはテンポが早くあれよあれよという間に気がついたら田植えの時期なんだろうな。

早咲きのさくら、なぜか一本だけ満開
東北関東大震災が起こって10日たった。
寸断されていた道路・交通機関も一部復旧の兆しがあるという。
どうぞ健康に気をつけて頑張ってください。
阪神大震災で実家が被災した私にとっては近隣の暖かさを身にしみて感じていましたが、この度は、けた外れに大きい被害に追い討ちをかけて原発の事故。それも6基もあるという。暗い、辛い、先の不安。そんな気持ちを遠い関西の地で精一杯応援したいと思うが私に何が出来るんだと自問しています。
原発の爆発も被害を最小限にとどめるべく日夜と問わず努力がされていますが本当に無事成功裡に終わってほしいと祈る気持ちで一杯です。

先週韓国出身の社員さんが突然退職して帰国してしまった。本国の家族の強い希望だった。唐突で驚いたが原発事故の報道は世界中を駆け巡りまわりまわって、私達企業にもこのような影響が出てきている。
チェルブイリ原発事故は1986年に起こったがすでにその街は廃墟と化している。放射能汚染がいかに恐ろしいか今一度心に刻んでおかねばならない。
ヨウ素131は半減期(最初にあった放射能の量が半分になるまでの時間)が8日と比較的短いが、甲状腺が特異的に被曝を受けるため、ガンや機能障害などの深刻な影響があるという。一方セシウム137は半減期が30年と長く、外部被曝(体の表面から被曝すること)だけでなく、内部被曝(放射能をおびた空気を吸ったり、水を飲んだり、ごはんを食べたりして、体内で被曝すること)ももたらすと聞いている。
そのようなことが起こらないことをひたすら祈るしかない。
私達は利便を追及するために危険と常に背中合わせにいる。安全で平和な生活をするために、少々不便であっても背中合わせの危険を取り除くことを真剣に考えるときではないだろうか。

2011年3月16日水曜日

問われる報道機関のあり方

ここ数日また寒さがぶり返している。今朝もジョギング、サボってしまった。というより何か気が重くて・・・。東北の被害地の方々にとって寒さも一段と身にしみることでしょう。頑張ってください。
東北の被災地に戻ってほしい”再び自然を”
この度の東北地方太平洋沖地震で被災を受けられた方には本当に大変だと改めてお見舞い申し上げます。
地震に続いて津波、追い討ちをかけて原発の爆発。地獄絵図はこれでもか、これでもかと続いているのを見て復興のための計画すら立てられないでいる。こんな緊急時に政府の、国民の、社会の、会社の、全ての叡智を集結してこの難局に突き進まなければと今更の思いを強くしている。
それにしても日本の報道のあり方に疑問を持つのは私だけだろうか。遺族の気持ちを逆なでするような興味本位の報道は武器を持たない私達の生活に土足で無理やり上がってきて、好き放題。
冷静に客観的にあるべき姿を報道すべきと思う。特に民放はバラエティ番組の延長線で涙を誘うような番組構成は愚の骨頂だ。メディアと市民生活が切っても切れない関係になってしまった社会で報道機関のとるべき姿が問われていることを自覚してほしい。
こういう局面に出くわしたときに、やっぱりNHKだなと思うことが多い。視聴料を払っている価値があるのである。
原発の事故の収束を祈る気持ちでいる私達は、その影で危険を惜しまずに復旧に生命をかけている職員がいることも是非心に刻んでほしいと思うのである。好き勝手を言っている報道機関の連中こそ、率先して原発の復旧現場で復旧にあたってほしいと思うのは私だけか。

2011年3月14日月曜日

もし羽根があれば・・・言いようのない無力感

(今日のブログはいつもの一人口調ではありません)11日の宮城沖地震で
日本国中打ちひしがれてしまった。先週すぐにブログでお見舞いしようかと思いましたが、その気持ちも失せてしまうほどショックは大きかったのです。
少し冷静になった今、我々が出来ることはなんだろうと考えます。慰めの言葉をかけることも必要かもしれないけれど、でもそんなこと何の手当てにもならないだろうと思うのです。痛みを分かち合うことも出来ない自分。現場では何をどうしてよいのか分からないのが被災者なのに・・・・。
本当に心からお見舞いとご無事をお祈り申し上げます。
頑張って苦難を乗り越えてください。
私も阪神大震災のときは、震災の瞬間母親が一人で住む神戸岡本に安否を気遣い、大阪から無我夢中で車を走らせたのが昨日のようによみがえってきます。
途中崩壊した高速道路のわずかな隙間を潜り抜け、両側に火災を見ながら走ったこと。“無我夢中”とはあのことだろうと今更に思うわけです。
岡本に着き避難所で年老いた母親が呆然と立ちすくんでいるのを見たとき涙が溢れて止まらなかったのを覚えています。そのときにも近隣の人の親切が身にしみて分かりました。

人間に羽根があれば・・・・鳥達から見れば”津波”は何なんだろう
阪神震災で受けた生き地獄、いやその数百倍の地獄図をまのあたりにして
“天災”を現実として受け止めなければならない人間の無力さを感じます。
“願わくば夢であってほしい”と思いつつ、TV報道でこれでもかこれでもかと
報道されるうちに、この世の出来事なんだとあきらめの境地に入ってしまいました。言いようのない落胆とこの先どうなるのかの心配が先立ちます。
何か小さいことでも良いから、人として社会として一助になることがあればと考えています。
人の定めは計り知れないもの。運不運も紙一重。10日をはさんで旅行で東北地方に出かけて災害に遭遇した人もいるだろうに。
“地球のマグマ”を床にして枕にして生きている生物にとってはこれからもこの恐怖から免れることは出来ないでしょう。
であればこれを天災と考えずに、“想定外”の一言で片付けないよう、天災がいつ何時訪れても乗り越えるだけの「文明力(科学力)」を持って自然に向かってゆく知恵を人類がもてないだろうかと思います。平坦な町が住みやすい街ではなく山岳地帯のほうが安全なのかもしれない。そんなことを考えながら私が今出来ることは何かを考えています。

2011年3月13日日曜日

JASPA運営会議

日曜日の朝は快晴のジョギング日和だった。猪名川を下ってJR尼崎までの2時間半コースを走った。天気が良かったので今年初めてショートパンツにノースリーブ(スリーブレス)姿。暖かくて快適だった。途中「池田猪名川マラソン大会」が開催されており、地元ダイハツ、日本航空などなどのゼッケンをつけた大勢の社員さんがチームで競争していた。いよいよ春か。
社団法人「神戸外国倶楽部」

会場は明るいガラス張り
先週10日(木)はJASPA(全国ソフトウェア協同組合連合会)の運営会議が神戸で開催された。我々の協同組合(HISCO)がホスト役となり全国の協同組合から関係者30名ほどが集まった。
会場の「神戸外国倶楽部」の歴史は古く神戸開港の1869年に27名のイギリス人を中心とした外国人によって元町界隈に設立されたインターナショナルクラブにその起源を発し1955年にドイツ系のトア・ホテル跡地のトアロードに移転された。歴史ある倶楽部を使わせてもらい大変有意義であった。
JASPAの目的は色々だが何よりも中小ITベンダーの施策に対し国に進言してゆくことも重要な課題の一つである。
昨今のITベンダーの取り巻く環境は決してよいものではない。派遣法の改正により法令順守の流れは派遣形態を大きく変えてきた。また企業の機密保持の視点から請負契約から派遣契約への移行が進み、どれも技術者のモチベーションを下げる結果に繋がりかねない。問題山積である。このような問題も含めて今後どう取り組んでいくか、議論されなければならないとおもう。
一方大手ITベンダーにとっても海外から日本への進出ベンダーに向かい討って価格競争に勝たねばならない。これから大手の合従連衡が進むであろう。三菱と住友銀行が合併するくらいだから何が起こっても不思議ではない。
IT業界にとって大変な時代の来ることが想定される。グローバル化の進展は止められないであろうし我々自身も“身近の競合会社”はすでに敵ではなく、手を組んで“外からの敵”とどう戦うかそろそろ考えなければ、“大きな津波”が来たときには既に遅きに失する。
中小ITベンダーの合従連衡が秒読みになってくると考えるのは私だけだろうか。
1970年 地方の中小スーパマーケット岡田屋(三重県)、フタギ(姫路)、シロ(吹田)の3社が提携し、共同出資で共同仕入れ会社「ジャスコ」を設立し、大手「ダイエー」に対抗した。そして2001年には社名を「イオン」に変更し、その後数々の合併を経て一大スーパーセンターへと変貌を遂げた歴史は、我々に何かを暗示している。

2011年3月11日金曜日

IT技術の進化と経営

さむ~い朝。9日はフォーラムを主催、打ち上げがあって帰宅が遅くなり早朝のジョギングは中止。外に出るとうっすら雪化粧、もう3月10日というのにどういうことだろう。ゆっくりとらんと散歩した。“お座敷犬”で育てたので、寒さに弱く用を足したらさっさと帰りたがる。困ったものだ。
梅に花も雪化粧
我々HISCO(ハイテクノロジー・ソフトウェア協同組合)主催の「第7回IT経営改革フォーラム」を開催し150名もの熱心なITベンダーが集まった。テーマは“新しい情報デバイスの可能性を探る”で、いまホットな“Andloid”が中心。我々IT業界ではいま大きな地殻変動が起こっている。Google社がアップル社のI-OS(I-POD)に対抗してフリーOS(LINUX)を基軸に新しいコンセプトのAndloidを提唱したことに端を発している。
その後、Googleの”Andloidを搭載する携帯端末が世界中のメーカーから続々と発売になった。皆さんも携帯端末のTVコマーシャル等でAndloidの言葉は聞いたことがあるだろう。実は水面下で我々IT企業を巻き込んだ一大戦争が勃発しているのだ。ちなみにソフトバンクはしたたかに両方の陣営を取り込み様子見である。

熱心に聞き入るITベンダー
満員の会場
我々IT企業は常に新しい技術に取り組まねばならない宿命を背負っているが、反面時代の変化に余り振り回されないようにしなければ果実を見失うことにもなりかねない。機敏性を求められる場合もあるわけで、ここは大きな転換期であろうと思う。時代の流れを見失わず踊らされず冷静に長期戦略を練る必要があるだろう。IT企業経営者にとっては決断のときである。地殻変動が一過性のものなのか、このくらいのマーケットサイズになるのか、果てまたこの変化の“どの切り口”にビジネスチャンスが隠されているのか、興味津々である。




2011年3月6日日曜日

啓蟄(けいちつ)

今朝は天気が良いうちにと猪名川沿いを走ってJR尼崎まで行った。2時間半ほどのコースだが河川敷通りには少しずつ春の臭いが漂う。途中バードウォッチングの仲間が写真を取ったり望遠鏡で見入ったりで楽しそうだった。お昼は尼崎駅前の蕎麦屋さんでザル蕎麦を食べてJR福知山線で川西まで戻った。
バードウォッチングのツアー達
きょう3月6日は二十四節気の一つ啓蟄(けいちつ)。冬ごもりしていた生き物たちが地上に這い出す頃を指すそうだ。きょうは比較的暖かかったので、生き物たちもちょこちょこ地面から顔を出しているかも知れない。そんな気持ちで走っていると芝生を走るときなど踏んでしまわないかと思ったりする。枯れ草の中に一輪草花の花が咲いていた。生き物にしても、草花にしても敏感に季節を感じ取っているようで不思議だ。
枯れ草の間に”春”
二十四節気は古代中国の文化なので、地域や時代などの違いから日本の季節感と合致しないところがある。日本気象協会では二十四節気を、現代の日本で親しみを感じる季節の言葉に置き換えた「日本版二十四節気~新しい季節のことば~」を検討しているそうだ。それにしても”啓蟄”とはいい響きだ。

2011年3月5日土曜日

犬インフルエンザ発症!

201X年12月Xデー。
大阪北摂の住宅街“箕面市”で“犬インフルエンザが発症”、周辺地域の犬の移動が禁止された。恐ろしい夢が現実に・・・。
「いよいよ来たか。いずれこの日が来ると心配していたが現実となった。」
「この先我々イヌ族はどうなるのだろう。」「私達ネコ族にも矛先が向けられるわね。特にネコ族は野畑に飼い放されているし、最初に捕まって火祭りにされるわ。怖い怖い。」そんな会話が続く。
犬猫のペット数はいまや15歳未満の子供人口より多い2500万匹が飼育されている。ペットは家族なのである。その家族が犬インフルエンザにかかったらそれこそ家中パニックである。保健所の係官が来て無理やりオリに入れて連れ去られる姿を見れば卒倒しかねない。



犬インフルエンザはH3N8亜型のようなA型インフルエンザウイルスのいくつかの亜型を原因とし、2004年に報告された。
イヌはこのウイルスに以前に曝露したことがないためにこれに対する自然免疫を持たない。それゆえ、個体間に急激に伝播する。犬インフルエンザはいくつかの地域のイヌの集団に一定の罹患率で、または一定の季節的周期で繰り返される。その地域内で流行するため地方性流行とも略される。
しかし今度の事件は、その変種が発症したらしい。
厚労省では、半径10Km以内の犬猫の移動を禁止し集団焼却が議論されている。絶対に家族である犬たちにそんなことはさせない。許さない。
緊急に愛犬家の代表と犬達の代表が会合し今後の対策を検討しなければ犠牲者が増える。そして抗体を作るため、国を挙げて予防接種の開発を優先させなければ大変なことになる・・・。
そう思いつつ“うとうと”から目覚めた。横でらんがいびきをかいて寝ている。
平和だ。

2011年3月1日火曜日

勝者と敗者

今朝はまた寒さがぶり返している。とは言え真冬の寒さではない。
こういう時期に出張すると着るものに迷う。出張中に暑くならないか、東京は暖かいのではないかとか色々考えて定まらない。
こんなときは朝の気象予報を信じて出かけるようにしている。最近の予報はかなり精度が高い。余り番狂わせがないのだ。というわけでコートとマフラー姿で東京出張となった。

まだ枯れ草の中から少し顔を覗かした”草花”
全日本ラグビー選手権を見た。名門三洋とサントリーの一戦だ。
ラグビーの日本一を決める第48回日本選手権は27日、快晴の東京・秩父宮ラグビー場で決勝が行われ、三洋電機が37―20で負け4連覇を逃したが、
この試合は三洋に勝ってほしかった。
実は4月からパナソニックの完全子会社となるため「SANYO」チーム名では今大会が最後になる可能性が高いからだ。
過去ビジネスでは、三洋電機と松下電器はよきライバルであった。
我々がITビジネスを創業して過去30年、関西でのよきお客様であり、我々を育ててくれたと思っている。それぞれの本社も近く、門真と守口にありよく出向いたものだった。
松下幸之助の義弟で松下電器産業(現・パナソニック)の創業にもかかわり同社の専務取締役であった井植歳男が、自転車用発電ランプの製造権と加西市にある松下電工(現・パナソニック電工)北条工場を譲り受け、個人事業「三洋電機製作所」を創業したと聞いている。
ある意味合併すべきしてなったと思えるがビジネスの社会では飲まれるほうの悲哀は幾ばくかと思う。4月には組織変更が行われ人事面でも白黒が付けられることになるだろう。世界に勝つためには合従連衡も必要なことであるが、それぞれの持ち味が残されていくことを期待したい。
リチウムイオン電池はじめ太陽光エネルギー等、三洋は電池に強い。
これらを成長産業と見据えて、今まで携わってきた人たちも共に繁栄できる企業文化を是非残してほしいと思う。ハイブリッド製品の影で働かせていただく私達もである。
時代はもう戻らないが三洋ラガーマンも「SANYO」ブランドで最後の試合を勝ちたかった・・・きっとそんな思いで戦ったのではないかと思う。
ご苦労様でした三洋ラガーマン!!