日本国中打ちひしがれてしまった。先週すぐにブログでお見舞いしようかと思いましたが、その気持ちも失せてしまうほどショックは大きかったのです。
少し冷静になった今、我々が出来ることはなんだろうと考えます。慰めの言葉をかけることも必要かもしれないけれど、でもそんなこと何の手当てにもならないだろうと思うのです。痛みを分かち合うことも出来ない自分。現場では何をどうしてよいのか分からないのが被災者なのに・・・・。
本当に心からお見舞いとご無事をお祈り申し上げます。
頑張って苦難を乗り越えてください。
私も阪神大震災のときは、震災の瞬間母親が一人で住む神戸岡本に安否を気遣い、大阪から無我夢中で車を走らせたのが昨日のようによみがえってきます。
途中崩壊した高速道路のわずかな隙間を潜り抜け、両側に火災を見ながら走ったこと。“無我夢中”とはあのことだろうと今更に思うわけです。
岡本に着き避難所で年老いた母親が呆然と立ちすくんでいるのを見たとき涙が溢れて止まらなかったのを覚えています。そのときにも近隣の人の親切が身にしみて分かりました。
人間に羽根があれば・・・・鳥達から見れば”津波”は何なんだろう |
“天災”を現実として受け止めなければならない人間の無力さを感じます。
“願わくば夢であってほしい”と思いつつ、TV報道でこれでもかこれでもかと
報道されるうちに、この世の出来事なんだとあきらめの境地に入ってしまいました。言いようのない落胆とこの先どうなるのかの心配が先立ちます。
何か小さいことでも良いから、人として社会として一助になることがあればと考えています。
人の定めは計り知れないもの。運不運も紙一重。10日をはさんで旅行で東北地方に出かけて災害に遭遇した人もいるだろうに。
“地球のマグマ”を床にして枕にして生きている生物にとってはこれからもこの恐怖から免れることは出来ないでしょう。
であればこれを天災と考えずに、“想定外”の一言で片付けないよう、天災がいつ何時訪れても乗り越えるだけの「文明力(科学力)」を持って自然に向かってゆく知恵を人類がもてないだろうかと思います。平坦な町が住みやすい街ではなく山岳地帯のほうが安全なのかもしれない。そんなことを考えながら私が今出来ることは何かを考えています。
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