一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2011年6月27日月曜日

“デファクトスタンダード”の後に残るもの

先週一週間はブログ“休刊”させていただいた。提出期限の提案書やら近情協(近畿情報システム産業協議会)の行事が重なって頭は真っ白。時間的余裕がなかったのである。土曜日は協議会主催のゴルフコンペでこれもどうしても参加しなくてはならず“科目”をこなした格好だった。気持ちがそんなだから案の定、成績もガタガタである。何年やっても上手くならないものだ。

日曜日には午前中はいつもの通り郊外をジョギングししっかり汗をかいた。
これは気持ちがいい。土日晴れ間が続き真っ黒に日焼けしてしまった。
先日日曜日に娘が父の日のプレゼントをくれた。今流行のジョギング用シャツとウェストポーチ(腰に巻くボトルポーチ)である。早速ジョギングに使ったが中々キマッテイタ(と本人は満足している)さんきゅ~う!

ジョギング途中、畑の横の無人販売所。お金を置いて買う。
アメリカは元々「弁証法」を好む国民性である。
この世のすべての概念は、正(テーゼ)、反(アンチテーゼ)、合(ジンテーゼ)の三つに分けられるという考え方やその方法に支えられている。
世界を二つの対立軸に置き、敵・味方をきっ抗(きっこう)させる。
白黒(好きか嫌いか)で決着をつける国民性がつよいように思える。
かっては旧ソビエトとの永い二極政治で東西冷戦が続き一触即発の時期があった。そしていま中国の経済的台頭で非常に神経を尖らせている。10年先新たな火種になる危険性をはらんでいる。
アメリカの正義は、“世界の正義”であるという考え方は大国の驕りではなかろうか。
政治・社会の世界だけではない。ビジネスの世界でも市場を制覇したものが“スタンダード”になることが多い。
“デファクトスタンダード”とは市場あるいは社会で競争に勝ち残ったものの事をさす。古くはビデオのベータマックスとVHS。FDDの3.5インチとか3インチ、最近の例ではメモリーステックの規格あるいはデジカメの画像ファイル形式、DVD規格の主導争いなどがそれにあたる。
”デファクトスタンダード”のプロセスで最近ものづくりの現場でで懸念されることが起こっている。
GoogleとAppleの「携帯端末戦争」のとばっちりである。一人勝ちしていたAppleのIPADの世界にGoogleが殴りこんできた。Googleが開発したAndroidで一気に市場を巻き返そうとしている。カーネルからミドルウェア、ユーザーインターフェース、Webブラウザ、電話帳などの標準的なアプリケーション・ソフトウェア群までを1つのパッケージにして無償で提供してきた。我々IT開発業者としてそれは朗報である。が冷静に考えれば、ソフトは無償(いずれ有償になるが)で提供され、ハードの機能が画一化がされれば、ハードは製造コストだけの戦いになる。ここでは付加価値を付ける余地がない。当然台湾・韓国・中国等が非常に安い価格で市場に出してくるであろう。日本のハードメーカの出る幕がなくなるのである。大きな嵐が去って“デファクトスタンダード”の行く末には多くのメーカーの残骸が野ざらしにされるのではないかと心配する。



2011年6月17日金曜日

余計なお節介だが・・・禁煙の勧め

予め断っておくが私は“筋金入りの禁煙家”である。会社採用の人材については禁煙を条件に採用したいとまで思っている。(実際には優秀な技術者ほど喫煙者が多いのであるが・・)
箕面駅のツバメが2度目の産卵。越冬に行くまでに2回産卵するそうだ
「百害あって一利なし」。世の中の流れから“喫煙者”は段々社会から隔離されてきた。いまや新幹線も飛行機も交通手段はまず禁煙だ。会社も然り、ビルも然り、家庭内でもベランダ喫煙“ホタル族”である。
でも立ち止まって考えてみれば、高い税金を払い小遣いを削って、人に気兼ねしながら煙を吸っている喫煙者は“けな気”である。
もっと税金をかけてそれでも止められない人には、高額納税者としての名誉あるバッジでもつけていただければ良いのだ。
私達は畏敬のまなざしで見るだろう。
それにしても煙草パッケージに“健康被害”まで明記され肺がんになる確率が高いとあっても尚且つ買い求める商品が他にあるだろうか。それほどまでにタバコには魅力があるのだろうと思う。
たばこはナス科のニコチアナ属の植物で、現在世界で最も多く栽培されているのはニコチアナ・タバカムという学名を持つ種類だそうだ。16世紀はじめの新大陸ではすでに数種のタバコ属植物が栽培され人々の生活の中にあったとされている。中央アメリカのマヤ文明では、たばこは神への供物として使われており、マヤ文明の僧が乾燥した野性のたばこの葉を火にくべて、その煙を吸っていたと言われている。これがだんだん一般の人々にも広まり、さらにマヤ文明以外の中南米の地域にも広がっていったと言われている。

“止めたいが止められない”族のために、(多分ご存知だろうが)いくつかの禁煙の方法があるようだ。
1、 病院での治療方法。
健康保険等が使える禁煙治療は12週間で5回の診察を受ける方法。
禁煙補助薬の処方を受けるほか、禁煙状況に応じて医師のアドバイスを受けて「お医者さんと禁煙」というわけだ。
2、電子タバコ、禁煙ニコレット、ニコチンガム、パッチなど各種禁煙グッズ

余計なお節介かも知れないが、月のタバコ代を計算すると、人箱450円として一日一箱×30日で13,500円である。これだけあれば家庭では子供がどれだけ喜ぶか。節約分でジムに通っても数千円であるから差し引き随分な健康維持方法になるはずだ。奥さんももっと声高に禁煙を訴えられてはと思うのである。

2011年6月13日月曜日

田植えの光景

梅雨の晴れ間、早朝ジョギングに出た。先週は出張が多くて走る機会が少なかったので今朝は入れ込んでいる。ゲートに入る前の競争馬のようだ。
道路は程よく湿っていて空気がさわやかだ。月曜日の朝ということもあって、一週間が始まるという躍動感が刺激的である。早朝会議があるので日曜日は早く寝るようにしている。そして朝5時半くらいから走り始める。
まだ薄暗い朝、農家の人はもう働いている。
まだ薄暗い曇空の朝であるが農家の人はもう一仕事終えているかのようだ。働き者だと思う。けさは田植え機が出て田植えが始まっていた。
箕面あたりは住宅街と畑が共生しているので、作坪面積は小さいがそれなりの広さだ(1区画700坪位か??)。田んぼに水が張られ作植えが始まると賑やかなカエルの合唱が始まりいよいよ生き物が本格的にうごめき始める。

ジョギングの帰り、立ち寄るともう相当植え終わっていた。すごい!
今朝は早くからなんとなく鳥が賑やかにさえずっている。
途中の公園ではウグイスの谷渡りも見られた。
「ケキョ、ケキョ-、ホーケキョ~」とそれは澄んだ声だ。美しい声にしばし立ち止まって聞き入った。
4~50分走りシャワーを浴びて出勤するのだが、途中箕面駅ではくだんのツバメの巣を覗き込んだ。が皆自由に飛びまわって巣にはいなかった。
そのせいか駅の近くでは当初に比べると3倍くらいのツバメが飛び回っているようだ。賑やかなこと。
今朝のようにジョギングしてから通勤するのと、しないのとでは疲れ方が違う。走った日は疲れが残ると思われるであろうがそれがまったく逆なのである。
走った日は一日中さわやかで駅などのエスカレータに乗ることも少ない。不思議なものだ。恋をすると“フェロモンが分泌”されて、はつらつとするといわれているが、それに近い作用があるのかもしれない。
ウォーキング&ジョギングにはいい季節だ。是非週に二回ほど家の近くを歩くことをお勧めする。

2011年6月11日土曜日

ホタル風物詩

季節の移ろいは正確だ。いま私の関心事は、箕面駅で子育てに励んでいる
ツバメだが、もう一つこの時期の風物詩はホタルだ。
6月11日すっかり大きくなったヒナ鳥。溢れんばかり。
この6月のはじめから箕面川にホタルが出没している。
毎年美しい光の演舞で私の目を楽しませてくれる。が今年は様子が違う。
先日の大雨で川が増水し河原に生えている草木は軒並み水の洗礼を受けてしまった。そのせいかせっかくの幼虫が水に流されたのだろう。ホタルの数がめっぽう少ない。
例年なら箕面山の滝の上辺りには沢山のホタルが乱舞している時期だ。上流の様子はわからないが、下流の箕面駅近くの川にも多くのホタルがでてくるが今年はその数がめっぽう少ない。大雨のため自然の生態が崩され、幼虫が流されてしまったのだろう。悲しい。
普段ならこんなに感傷的になることはないだろうが、やはり東日本の災害と二重写しになり私の心をこんな想いに駆りたたせているのである。
箕面は自然の風景が残った北大阪のベッドタウンだ。
ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタル、クロマドボタルなどを中心に各種ホタルが古街道から山麓部、山地まで広く分布している。
箕面川に分布するゲンジボタル。今が見頃である。
これを機にホタルについて調べてみた。コウチュウ目(鞘翅目)・ホタル科 Lampyridae に分類される昆虫の総称で発光することで知られる昆虫である。おもに熱帯から温帯の多雨地域に分布し、世界にはおよそ2,000種が生息しているらしい。
日本では、本州以南の日本各地に分布し、5月から6月にかけて孵化するゲンジボタルがその代表格である。実際には遥かに多様な種がある。
国内には約40種が知られるが、熱帯を主な分布域とするだけに、本土より南西諸島により多くの種がある。
ゲンジボタルの成虫が初夏に発生するため、日本ではホタルは夏の風物詩ととらえられているが、朝鮮半島、中国、対馬に分布するアキマドボタルは秋に成虫が発生する。西表島で発見されたイリオモテボタルは真冬に発光するというのも意外である。
発光するホタルの成虫は、腹部の後方の一定の体節に発光器を持つ。
発光物質はルシフェリンと呼ばれ、ルシフェラーゼという酵素とATPがはたらくことで発光するらしい。発光は表皮近くの発光層でおこなわれ、発光層の下には光を反射する反射層もある。
ホタルに限らず、生物の発光は電気による光源と比較すると効率が非常に高く、熱をほとんど出さない。このため「冷光」とよばれる。
熱をほとんど出さないことから人類にとって究極の照明はこの“ホタル光”であろうとおもう。現代のLEDがこれからの“省エネ光”といわれているが、ホタルは更に“未来の光”なのである。

2011年6月5日日曜日

最近の病院事情

4月19日にツバメの親鳥が飛来してから観察をしていた箕面のツバメ。いよいよ大きくなってあと一週間もすれば巣立ちするかもしれない。でもくちばしはまだ黄色い。
大きくなったけれど、まだくちばしは黄色い。
先週の日曜日に買ってきたトビウオの刺身を月曜日の夜に食べた。“光り物”青魚なので、一瞬火を通して食べようかと思ったけれど、面倒もあってそのまま酒のつまみに刺身で食べた。油断である。いつもの通りベッドに入り別に異変もなく眠りに着いたのであるが・・夜半、というより明け方に近い頃耐えられない腹痛になり七転八倒。
普段健康が“とりえ”の私にとっては珍しく参った!である。
大体どんな痛みでも”正露丸”を飲めば治るタイプであったが今回は違う、お腹が空っぽになってしまった。
6月4日すっかり大きくなったヒナ。もう親鳥も入れない。
朝になるのを待って市立病院にいったわけだが、最近の病院は様変わりしていて驚いた。
まず紹介なしの外来は原則受け付けない。かかりつけの医院の紹介状を持っていくのである。
今更気がついたことであるが普段病院に行くことがない私には“かかりつけ”がいないではないか。この場合どうすればいいのだ!!取り敢えずお願いして診察を受けることになった。
以前では受付してから長い時間待たされて診察を受け、たらいまわしに検査をして、結果がでるまで一日仕事であった。
今は違う。病院中私のデ-タがLANケーブルで飛び回り即座に結果が集計されるのである。レセプトから電子カルテ、電子表示板、機器管理システム・・・IT武装の最たる職場であった。
同じ日、親鳥は巣近くの看板で羽根を休めている。
驚いたのはそれだけではない。
診療室に入った。まず名前を聞かれ答えてから先生はパソコンの画面を見続けるのである。問診結果を入力している。一通りのことを聞き終えて、血圧を測り、聴診器をあて、少し医者らしいことを数分やって検査項目を打ち出して“手順に従って各部署で検査をしてください”といってシートを手渡された。その紙を持って採血に行き、検便し、レントゲン等々を撮り終え、元の診察室の前で待っていると程なく部屋に誘導された。

まったく様変わりだ。先生と顔を突き合わせ世間話をしながら顔色を見ながら診断した時代の暖かさはない。
しかし結果はきちっとでてくる。
どちらがいいのかは判らないが、現代のように心の悩みのある病気などはこういうやり方ではないのだろう。
かかりつけの医者が懐かしくもなり、いざというときに気軽に相談できる先生はやはり身近にいたほうがいいのかなと思った。

2011年6月3日金曜日

永田町が騒がしい

悪夢が”正夢”にならないようと思うことがある。”愛犬らん”が15歳になって何が起こっても不思議ではない年齢だ。いつもそう思っていると夢に出てくることがある。昨夜はそれでうなされた。公園で遊ばせていると急に大きな犬に飛びかかられ瀕死の怪我。一生懸命病院に連れて行こうとするけれど中々着かない。その間どのくらいの時間だろうか。うなされてハット目が覚めるのである。暫く”ぼ~”として夢だとわかる。横でス~ス寝息を立てて横たわっているのを見て今日も元気なんだとまた一眠りした。
皮膚病になってステロイドの薬で元気?気味が悪い。
内閣不信任案が否決された。数の理論である。そのために当日の早朝まで画策・思惑がうごめいて、民主党小沢派を中心に賛成票を投じると我々は当日までそう信じていたが、結果は・・・やである。
民主党の分裂を避けるためのぎりぎりの選択であるが、所詮いずれ辞任することを宣言したリーダに誰がついていくのか。
そもそも3月11日以降の政府の対応は全て後手後手であると私は思う。
“リーダーシップ”に欠けているのである。こういう人がリーダになってはいけない。国難は救えないのである。内閣不信任うんぬん話ではなく自らが(国民から信頼されていないことを自覚して)即刻辞任すべきであると私は思う。
被災者への対策も遅遅として進まない。もう2ヶ月も経つのに満潮がくれば道路に水が溢れ生活できない地域もある。緊急措置として土嚢を積むだけでも改善されるのである。避難所の問題、原発への対応、などなど喫急な課題が山積なのである。
規模こそ違え企業経営も同じである。会社経営にとっても存続にかかる危機は何度も経験する。古くはバブル崩壊期からリーマンショック、ドバイ危機等々経済はじっと留まっていないのである。
このときの「経営の判断・決断力」で浮沈が決まり企業も淘汰されていく。
企業危機を乗り切るにはまさに経営陣のリーダシップと決断力を必要とするのである。
企業は「継続こそ力」といえる。だから倒産しないために必死に手当てする。
それが「全社一丸力」になってゆく。
国家も同じである。この国難に向かい合って国民全体が一丸となって進もうとしているとき(信頼を寄せられない)リーダに国を任せざるを得ない我々は不幸である。
だんだん大きくなってこぼれそう。4羽かな。
”震災”を“政争”に使うなとメディアは声高に言うがメディアにも責任が大きい。“このリーダーでは将来に亘って禍根を残す”ことを考えればこれは既に“政争ではない”のである。
確かに永田町の政治臭があるのはぬぐえない。が所詮政党政治は党派が数で決するのである。それをすぐに“政争に使うな”という生臭い言葉で解決し、国民の目を”この緊急時に政争の時ではないだろう”という方向に向けさせようとするメディアにはうんざりである。
後で振り返って、”あれは政争”ではなかった。あそこでリーダを替えたお陰で今この日本があるんだという歴史軸も必要ではないかと最近強く思う。
現内閣が長引けば長引くほど事態は取り返しがつかないかもしれない。
国民にメッセージを送るメディアももっとしっかりしてくれ。
まっ、リーダが誰であれこの国難には国民一人ひとりが自らのこととして取り組んでいくことが大切だ。まさに“会社倒産の危機“なのだ。
”国は崩壊しない“という神話はないと思って国難に立ち向かおう!!