一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2015年12月31日木曜日

富士山の顔 12か月

私の心を動かした富士山。12月29日、年の瀬の朝。
2か月余り、書くことが出来なかった。
書くことが好きな私の初めての経験だ。
仕事でも書きのこすことが多い毎日に
”少しは休みなさい”という事だろうか。
「ブログの更新」がストレスになり、でも
“どうしたの?”と問われると追いかけられる気持ちが走る。
その気持ちが吹切れたのは歳の瀬28日の東京出張。
翌早朝の新幹線で戻るとき車窓にそびえる富士山。

富士山の12か月、2015年12月29日
いつになく感動し夢中にシャッターを切った。
その瞬間から私に立ちはだかっていたモヤモヤが
すっと消えたのだ。

富士山の12か月、2015年11月30日
なぜか自然が語りかけたのだろう。
そういえば365日、毎日姿を変えながら輝いている自然。
そんな中で変化を楽しんでいる自分が居る事に気が付いたのかもしれない。
この一年、“富士の顔”を追っかけてみた。

富士山の12か月、2015年11月6日


富士山の12か月、2015年9月30日
歳の瀬。
月並みだが、あまりにもあっという間にこの一年が過ぎてしまった。
今日は眠りにつくときに個人的なできごとを振り返ってみよう。
良いことも、悪いこともあった。それをバランス良く呑みこんでしまう。
それが自称楽天家の“私”でもあるのだ。

富士山の12か月、2015年6月9日
皆さまは“今年の目標”は達成しましたか。
振り返るのには良い機会ですね。
“小さな一歩”で良いから前進でしたか?
最も頑張ったこと、頑張れなかったことは?
そして健康的に過ごせましたか?
“心もからだも健康”が何よりも宝。


富士山の12か月、2015年5月13日
こうして仕事、夢、健康、恋愛、人間関係など
今年一年無事に過ごせたことへの感謝の一言。
“ありがとう”また新しい年もよろしく。


富士山の12か月、2015年2月27日


富士山の12か月、2015年1月20日


富士山の12か月、2014年12月25日









2015年10月6日火曜日

不幸せだなと思った時


秋の花コスモス畑
今朝も6時ころから一時間ほどジョグした。
ひんやりとした風が肌を突き抜けるようだ。
すっかり秋だなと実感する。
いつもと変わらぬ朝の風景だが登場人物は替わっているのだろうな。
人汗かいてから出勤した。


そろそろ稲刈りが始まる。
人が「幸せ」を感じるメカニズムとは何だろう。
「幸福」の謎を解き明かせば、人類はより幸せになれるのだろうか。
究極の幸せは“争いのない社会”で平穏に過ごせることなのだろうが
世の中そう簡単にはいかない。

元々子供の喧嘩に親が口出しをし、それが家と家のいがみ合いに、果ては集落と集落の、そして宗教の問題に発展し、やがて武器による殺戮が起こる。
大国のいがみ合いにより引くに引けなくなりそれが戦争に発展するのだ。
そして今世界中で火種が暴発寸前なのだ。
根源が「幸せ」を求める結果だとしたらなんと愚かなのだろうと思うが、当事者は真剣なのが始末に悪い。

ジョギングの途中、ベンチで一休み

先進国中、幸福度が低いといわれる国のひとつ,
日本。
戦争もなく物質的に豊かな日本人が、なぜ十分な
幸福を感じられないのか?
幸福とはGDPそのものではないという事。
幸せとはお金の価値だけではないという事。
親切をすることで人と自分を結びつける。
幸福に不可欠なのは人をサポートすること。
心の支えは、家族、友人、地域、職場なのだ。


夏の名残の花

幸せのつくり方は“一日3つの感謝”をすること。
生んでくれた母親が今いればなんと幸せ。
想い出そう。“ありがとう”の気持ち。

各地で起こっている“いさかい”が鎮まってくれることを祈りながら。







2015年9月23日水曜日

老後破産

秋空。空気が澄んだ中、うろこ雲が。
シルバーウィーク。
ゴールデンウィークに対しての呼び名だそうだが
5連休久し振りにゆっくりした。
というより遅れている仕事を取り戻したという方が正しい。
5日連続でジョギングしたのも久しぶりだ。

そろそろカキの実も色づき始めた。

折しも21日は敬老の日。
社会福祉が行き届いたかに見える国で老後破産と
いう新たな悲劇が増えている。
その昔、年とった親を子供が介護するのが普通の
光景だった。

もうすぐ稲刈りのシーズンだ。

ころがその子供が甲斐性をなくし親の年金や生活保護をあてにして同居するケースが増えたという。
一つに非正規社員の増加だ。統計によると全体で
40%を超えている。
安定しない雇用が増えており、一つ間違えば失業
して親を頼るようになる。
所得減も要因の一つだ。
親を養うだけの生活が出来ない。
そして身を寄せ合って親子共倒れ。
こんな悲劇の話が聞こえるようになった。

先週咲いていたひょうたんの花に実が付いた。

定年を迎えてリタイヤしたら、穏やかに余生を過ごしたい・・・。ささやかな希望でさえ、高齢者世帯の実に半数近くが実現できていないという。
高齢者自身が、生活保護基準より低い収入で生活している「老後破産」状態にあるというのだ。
原因は色々だが①年金が生活費より少ない。
②医療費の増加。③子供の借金返済を負担。④定年後、住宅ローンが残っている等々。

“老後難民”にならぬよう“備えあれば憂いなし“である。
男性雇用者の給与は、1997年をピークに15年間下がり続け、2013年時点でも以前と比べればずっと低水準にとどまっているという。
河岸の茂みに、彼岸花が咲き誇る季節だ。

 社会人となったばかりのころには想像もしなかった大幅な収入ダウンによって「落ちていく」感覚。これが、日本の中流層の足元を脅かしているのだ。
他人ごとではない。






2015年9月8日火曜日

スローフード

近づく実りの秋

先週一週間、いつもより多めにジョギングした。
そして日曜日にジムで健康測定したら体脂肪が激減したではないか。
”努力すれば報われる”の健康番だ。
折も折、テレビで”ウォーク”は認知症防止になると聞いた。今週も頑張ろう!

空にはうろこ雲。ここにも秋。

1986年にイタリアのブラという片田舎からスタートした“スローフード”運動。
産業革命の旗印のもと、発展をし続けた20世紀は、機械を発明し、それを生活の基盤としてきた。
その結果、我々は、機械に使われながらどんどん
膨張していき、長く緩やかだった世界人口は増加を続けて、19世紀末から現在に至るまで「爆発」と呼べるほどのスピードで急増している。

河岸のすすきも秋の風情 

西暦0年頃に約1億人(推定)だった人口は、西暦1000年には約2億人(推定)、その後1900年には15億人にまで増え、産業革命以降、現在は65億人に迫る
勢いである。
その生活ライフも変わり“ファストフード”を食べることを強いる、”ファストライフ”というライフスタイルが世界中を席巻した。

畑には”カボチャの花”

スローフード協会は言う。
「我々人類は、いまこそ、種の絶滅の危機に突き
進むスピードから解き放たなければなりません。」
「このファストライフを効率と勘違いしている人々に対抗し、感性に訴える喜びとゆっくり持続するたのしみを保証することこそ人間らしい生き方なのだ。」と訴え“スローフード”の食卓から始めようと言っている。
その通りだ。
郷土の風味を再発見し、私たちの生活を退化させるような“ファストフード”の波を打ち止めようではないか。
その通りだ。

生産性の名の元に“ファストライフ”は、地球の環境と私たちを取り巻く景色を脅かしている。
その事にいち早く気づき、子供たちを守ってゆかねばならない。
米国アリス・ウォータースの提唱する「おいしい革命の9つの原則」がいまこそ必要なことだと思う。

栗の実はまだ固そう。

そんな折、私の知人片貝孝夫氏から以下のような
メールが届いた。
彼は永年IT業界に籍を置いているが、
今「GO!農プロジェクト」という運動をしている。
自然と接することの少ない都会の人にたまには田園地帯で仕事をしてもらおうという試みだ。
群馬県東吾妻郡にある彼の古民家を改装し都会で
働く人のサテライトオフィスをオープンしたという案内だ。
都会と地方の交流こそ大事だと思って立ち上げた
プロジェクト「GO!農プロジェクト」。
ご成功を祈る!










2015年8月29日土曜日

外国人観光悲喜こもごも

近くの田んぼでは、そろそろ実りの準備だ。小学生の作品。

何処に行っても外国人観光客が多い。
溢れ返っている。
人が動くと経済が活性される、本来嬉しいことだ。
がそればかりではない。

我々出張族にとってはいささか気になる事がある。
マナーもそうだが何よりホテルの予約が取り難い。
満室なのだ。
それだけではない。
需給バランスが崩れると宿泊代が高くなる。
大都市では今までの“平穏”な時の2倍近い料金になっているホテルがある。
我々にとっては迷惑千万だ。
もう少し円高になって外国人観光客が少なくなってくれればとまで思ってしまうのだ。
JR川西駅内で見かけたツバメの巣つくり。”フンに注意”のユーモア。阪急さん見習え!!

観光事業が活況になれば経済が潤う。
“爆買い”という言葉が流行語になるくらいに経済効果は絶大だと思うが何事も程々が良いのでは・・

東京のホテルに泊まっても8割くらいの人が外国語で話している。
中国、韓国、欧米さまざまだが、渦の中にいると
一瞬自分がどこにいるのか耳を疑う事がある。

カキの実もそろそろ”秋準備”

大阪ミナミの繁華街、なんば道頓堀。
行き交う人はほとんど外国人。
マツキヨでは薬の爆買い、黒門市場では日本人が
敬遠するほどの外国人。
あ~ビルを“一棟買い”までするそうだが、そのうち大阪は乗っ取られるのではないか。

生き物の巣”猪名川の茂み”が離着陸の安全確保の為伐採の看板。
地方に行ってもそのようだ。
この夏沖縄に出かけた。沖縄訪問は私の“定番”で
7月には必ず出かける。
昔の仲間と旧交を温めるとともに、彼らと酌み交わしながらビジネス談義をすることだ。
出掛けて驚いたことに観光客が年間700万人を超えたそうだ。
その為であろうか、今年は例年と様子が違う。
あちこちで外国語が飛び交っている。
 良い面と悪い面が交叉して複雑な想いになった。

“基地沖縄”ではなく、“観光沖縄”で十分やっていけるのではないか“翁長さん”。









2015年8月17日月曜日

お盆休み

会社の会議室で社員と家族が集まり”淀川花火大会”を鑑賞。
この一週間、お盆休みが続き家族はそれぞれ
思い思いでちりじりバラバラ。
我が家の留守は私が与る事となる。
このお盆の休みこそ実は私にとって最も自由に過ごせる日々だ。
こんな家庭は珍しいのかもしれないが、我が家では普通のこと。
とかく言っても始まらない事だと決めつけている。

猪名川では久しぶりにシラサギの群れをみた。

こんな時とばかり普段会えない人と一献傾けることもある。
相手にとっては迷惑なことかもしれないが、誘って飲みに行くことにした。
実は自宅の近くに住んでいらっしゃるお客様で親しくしている人を誘って石橋界隈で飲んだ。
以前から一度行ってみたかったお店だ。
かしわ処“滋久”。その名の通り鳥料理ではちょっとしたお店だ。
仕事はなれての健康談義だったが結局は仕事の話でおちた。


道端に咲く野のユリ。つつましく奥ゆかしい。

休み中は毎日午前中ジョギング三昧。
ペットボトルをぶら下げて万歩計で一日15キロは下らなかった。
あの炎天下でよくよくと家族からは呆れられるが
知ったことではない。そうして動き回っていると
熱中症も寄り付かないのだろうとおもう。

夏祭り、子どもだんじりに出逢った。

そんなお金のかからない健康な毎日であったが、
ジョギングしていると夏祭りにも出くわすことがある。出店でかき氷を食べてみたりのそれなりに夏を満喫した次第だ。

20階の会議室から”涼しい花火”

夏の風物詩の“花火”も会社の会議室を開放して
70人ほどの社員と家族が集まった。
淀川の花火大会だ。
社員と家族の絆も深まり毎年の行事にしている。


そんなことをやっているうちに一週間の夏休みもあっという間に過ぎてしまった。
また今週から仕事始まりだ。
残暑厳しい折だが頑張ろう。











2015年7月28日火曜日

スポーツ情報戦


夏本番で、クマゼミが激しく鳴いている。
熱中症に対抗する体力もまた大切だ。
暑い暑いと言って冷房の効いた部屋にこもるのも
抵抗力が無くなる。
体力に合わせ適度に汗をかくことも必要だと思う。
そう思って外に出て駆けずり回るようにしている。
流石にネクタイをしめてスーツを着てというわけにはいかないが、ランニングシャツ・パンツで出かけると汗をかいても気にならない。
風が冷たく感じるときもある。

ジョグ中、伊丹にある出雲そばで昼食する。

日曜日は暑い中、体力ためしをした。
“罰ゲーム”みたいなもんだ。
いつもの二時間半コ-スだが無事“生還”できた。
体力は“気力から”だと思っている。

田んぼのあぜ道に咲くタンポポが緑に映える

裸足の王様“アジスアベベ”のマラソン時代は
人間の力が結果を生んだ。
それから技術が進化して“道具”が結果を左右する時代になってきた。
スポーツの在り方が変わってきたのだ。

道具のひとつスポーツシューズが花盛りだが、
店には溢れんばかりの商品が並んでいる。
スキー板の形状、ワックス。水着の素材、形状。
あらゆる分野において“IT技術”がひしめいている。
こうなってくるとIT技術力を駆使できる
”先進金持ち国”が優位になってくるのだ。

“道具”だけではない。
最近のスポーツでは“IT情報分析力”が問われている。
先日テニスの錦織が怪我の為、棄権した。
あのウィンブルトンでは、上位の選手間では熾烈なIT情報戦が繰り広げられた。
相手の弱み・強みを、ビッグデータを駆使して解析しているのだ。
錦織をセンターラインの外に誘い込むための作戦をコンピュータでシミュレーションしデータ解析の結果を踏まえて作戦を練っていたという。
強くなれば、多くのライバルを持つ事になるのだ。

もはや“先進IT技術力”を持たない国はスポーツの世界では勝てないのか。









2015年7月25日土曜日

安全への細かい配慮

そろそろ海を渡るころになってきたツバメ達。また”安全な日本へ”
日本人の“安全”に対する細かい配慮にいたく感心することがある。
見逃せば気が付かないくらいの些細なことである。
この気遣いは日本の文化の源流を語っているのではないかとも思ってしまう。

何事だろうと思うだろう。
聞いてしまうと何だそんな事かと思うだろう。

コンビニで見慣れた”お箸一膳”

コンビニで弁当等を買うとお箸が一膳ついてくる。
これをよ~く見てほしい。 
写真のように“箸”と“つまようじ”が袋に入っている。
袋には開け口の矢印が印刷されている。
ここで良く見てほしい。
“つまようじ”の頭が必ず上に向いている。
取り出すときに指を刺さないためだ。

”つまようじ”で指を怪我しない様必ず頭が上になっている。

100膳中100膳がすべてそうなのだ。
気が付いて以来コンビニで箸をもらうのが楽しくてしょうがない。
粗悪品がないか試しているのだが、見事に期待を裏切って完璧なのだ。

私は箸の話をしたくて話題にしたのではなく、このきめ細やかさが日本文化を支えてきてそれが”細やかな美の世界”にも通じていて、それが“おもてなし”の文化にも繋がっているのだろうと感じ入っている。

安全の文化もそうだ。
新幹線では地震が起こる予知をいち早くブレーキ機能に組み込まれていると聞いている。
グラグラと揺れる数秒前に既に減速しているのだそうだ。
中国が日本の新幹線と同じ様な車体を創っても安全に運航するソフトウェア(ノウハウ)がなかったことによる事故が過去にはあった。

 コンビニ弁当を食べるたびに、しみじみ“安全”文化に感じ入っているのだ。









2015年7月21日火曜日

一カ月ぶり

夏祭りの一環で見つけた大道芸人のサル。
久し振りの投稿だ。
一カ月も書けない状態が続けば、もう書くタイミングを逸する。
その間季節の変わり目で、色んな変化があった。
変化があればあるほど点と点の繋がりが持てない。
繋がりを持とうとすれば益々タイミングを逸する。
空白の時間がいたずらに経ってしまったのだ。

ジョギング中、喫茶店の軒下で3羽の子供が元気に!

子どもと共に越冬の前に河原で過ごすらしい。事実すごい数のツバメが。

私の習慣の中でジョギングは違う。
気の向くまま好きな時に気のままに出かけるのだ。
一人が良い。
何にも拘束されることがなく、誰に話すこともなく自然と一緒に移ろう景色とお付き合いしながら一人と向き合っている。
辛くなれば留まればいいし、拘束されない自由さが何よりだ。
走りたければ走り、休みたければ休めばいい。
ウォークしたければ歩けばいい。
カメラを向けたければショットを撮ればいい。
自由気ままなのだ。

この一週間大雨で近くの河が濁流に。住んでいるコイが心配だ。

連休最終日は、真っ青な青空が広がり酷暑と言われる日だった。
何か人さまから見れば罰ゲームの様だが私にとってはそうは感じない。
汗が出るだけ水を飲めばいい。
川に頭を突っ込めば行水もできる。
誰にも迷惑をかけずに楽しんでいる。
熱中症対策は人一倍気づかいしている。
およそジョギング中にはペットボトル3本の水は飲むだろう。
早朝、涼しいうちに出たが途中日差しがきつく
体が真っ黒になった。
帰ってから“Shiffa”の化粧水を使ったのは言うまでもない。

沖縄の美しい海。大切にしてほしい!

一週間ほどまえに沖縄に出張した。
この時も沖縄での楽しみの一つは、
早朝のジョギングだ。
気ままにコースを選んでジョグする訳だが何よりも一度通った道は親しみが増すのを感じる。
不思議だ。
台風11号の直撃を逃れたタイミングでの出張だったがジョグ中のスコールも気持ちいいものだった。
夜は沖縄の仲間と一献を傾けた楽しい一日だった。


2015年6月12日金曜日

高所平気症

ハウツーサイト「ミナカラ」から転載
住環境が高層化している都会のマンションで育った子供たちの中に“高所平気症”が増えている。
“高所恐怖症”の私にとっては想像できないが、
高層マンションのベランダを乗り越えて平気なのだ。

昨今マンションからの転落事故が頻発し、
この「高所平気症」が強く関係している
のではないかという学者の意見である。
それもそうかもしれない。


「高所平気症」とは「高い所を高いとも思わない
感覚」のことで、字のごとく高いところが平気な
症候群のことだ。
子供は未発達で、高層マンションに住んで
いても高いところにいるという意識があまりない。
また高所に慣れる傾向があるため、高さに
ついての恐怖心が薄くなる「高所平気症」になりやすい。
この事実に直面し、わたしたち親に何ができるのか、真剣に考えるべき時代に突入したと思う。
「高さへの認識」や「危ない」「怖い」という感覚が身についていない子どもに「危ないからダメ」
ではなく、「なぜ危ないのか」を体得させることがとても大切だ。