一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2011年7月31日日曜日

食の安全をどう守るか。

早朝ジョギング中、セミの合唱の嵐をうけながら足元を見ると新しく誕生した生命と、その近くで一生を終えようとしているセミが道端で羽根をバタバタさせているのを見た。飛ぼうとするけれどすでに飛ぶ力を失っている。立ち止まってそっと木陰においてやった。“ご苦労様、ゆっくりおやすみ”。
セミの命は短い。幼虫としての地下生活は3-17年(アブラゼミは6年)と永いが、成虫はわずか1~2週間である。短い人生を精一杯謳歌し土に戻ってゆく。生き物の刹那を感じる。

                                

ブログで何度か“食の安全”について書いた。3年前にも日本中が大騒ぎした。中国製ギョーザによる中毒で、殺虫剤の混入が原因で吐き気や腹痛といった症状を訴えた人が600人以上発生した。人命に係る食の安全は過去にも幾度となくある。その度に(食の安全を)議論しそのときは改善されたかのように錯覚した。が実際には次々と起こるものである。事実買い物に行ってつい安いと買うことが多い。安くて安全が担保されればベストである。時々安全性に問題が多いとわかっていても買うこともある。私たち消費者は食の安全をどのようにして確保すればいいのだろう。
以前、中国製餃子事件で問われた食品の安全とは別の大きな問題が“日本の食の安全”にのしかかってきた。またまた“食の安全”が脅かされているのである。今回の問題は厄介である。“放射線被害”である。一筋縄ではいかない。
中国製餃子事件には日本の食糧自給率の低下の問題が内包していた。食料自給率(飼料自給率を含め)の低下は国の独立性をも危うくする問題を浮かび上がらせたのである。“安い”商品が日本市場に投下され(それ自身は歓迎されることだが)十分な安全が確保されていないことが結果大きなリスクを背負うこととなる。価格競争力を失った日本の農産物が排除され、結果“食料の自給率”が40%(カロリー換算)を切ってしまったということであった。
しかし今回の放射線被害は、“永く尾を引く”問題であろう。輸出もままならぬ“日本食品の安全性”が問われる結果となった。国内が混乱し当面海外からの輸入に頼るという事態になれば、日本の農業の存続にも係わる。
中国製餃子事件とは根の深さが違う。困ったものだ。
長期的視野に立ち真剣に農業・漁業問題に取り組む必要があるだろう。

2011年7月27日水曜日

中国新幹線事故に思う

23日夜、中国で列車事故が起こった。
ちょうど数日前のTV番組で中国の新幹線技術に関して問題定義されていたばかりだ。中国が登録申請している技術は海外提携先の技術だという意見と、中国側は国産純粋開発技術だと言い張る。川崎重工業から供与された技術を自らの開発技術だというのである。
そして純国産技術として海外特にアメリカに売り込んでいる。したたかなのはGEと提携することにより、特許技術を含め優位に事を進めようとしている。
結局そのTV番組も実りのない論争に終始していた。

その“純”国産技術だといわれている中国新幹線が重大事故を起こした。
なんとも皮肉なことか。
“箱が出来てもソフトが伴わない”列車運行システムが如何に危急事態に脆いかが証明されたようなものだ。
我々ソフトウェア業界でも“コンピュータはタダの箱“という言葉を最近よく使う。
Googleが推進しているAndroidTabletなど正に箱(ハードウェア)は統一仕様である。如何に安く作れるかが勝負で日本のメーカは東南アジアのメーカーとのコスト戦争を強いられることになる。ハードウェアには既に付加価値はないのである。それを使いこなすソフト(ノウハウ)が重要なのだ。

日本の新幹線運行技術は世界に冠たるものだ。何よりも安全性。東海道新幹線の開業が1964年と聞く。50年近くになるが一度も大事故にあっていない。これもすばらしいことだ。今更に日本の技術が高いと感心する。
“立派な入れもの”を作り、“純”国産だと言い張り、先を急いで完成させたにはそれなりの”お家事情”があるのだろうけれど、一夕一朝には事は進まぬ。

事故のあと車両は地中に埋められ”隠蔽”のそしりを受けた
そして悪いことは続くものだ。あの大事故を起こしながら、発生からわずか1日半での運転再開や、事故車両を埋めるといった対応については開いた口がふさがらない。
再発防止のための原因究明がなされないまま、隠蔽する中国政府の対応は正に今の“中国国家のひずみ”を象徴しているように思う。

何も焦ることはない。広大な中国大陸に安全な新幹線がくまなく走る時代が来ることは間違いない。海外の運行システムを真摯に受け入れ、自国の発展に寄与させてほしいと思うのである。

2011年7月24日日曜日

“アリとキリギリス”風、 土曜営業会議

土曜日の朝は会議があるので、ジョギングは40分のショートコース。
早朝といえ日差しはきつい。それにセミの声が耳を劈くばかりだ。
最近は虫の合唱も聞かれる。主にキリギリスだ。
「ギー!」「ギー!」「チョン!」と鳴く。
キリギリスには2大勢力があるらしく、ヒガシキリギリス(青森県~岡山県)とニシキリギリス(近畿地方~九州地方)の2種だそうだ。東と西に分かれているのが面白い。ひょっとして「関東かたぎ」と「関西かたぎ」があるのかもしれない。調べてみよう。
イソップ寓話に「アリとキリギリス」がある。元は『アリとセミ』だったがヨーロッパ北部ではあまりなじみが無い昆虫のため、翻訳過程で改編され日本に伝わった寓話は『アリとキリギリス』で広まっている。
夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、キリギリスは歌を歌って遊び働かない。
やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが、「夏には歌っていたんだから冬には踊ったらどうだ?」と断られ、キリギリスは餓死する。という筋書きだ。なお、それでは残酷だというので、アリが食べ物を分け与えるという話に改変される場合もあるらしい。

イソップ寓話”アリとキリギリス”懐かしい。

冒頭お話したとおり、弊社では土曜日の午前中営業会議をやっている。
永く続く伝統だ。大手から転職してきた幹部社員など違和感があるらしくなかなか馴染んでくれない。
我々中小企業の要は“営業”である。我々に与えられた時間は皆等しく同じだ。その中で企業が一歩先んじるためには“知恵”と同時に“時間軸”を上手く使うことだ。皆が働いている昼間は出来るだけ客先に出向き営業する。
夕刻以降の時間と、皆が休んでいるときを“有効活用”する。この積み重ねが気づかぬうちに“営業力”となっている。「アリとキリギリス」の寓話はそういうことかもしれない。
冬の時代(不況)が来たとき必ずこの努力の差が出てくるだろうと信じている。
だからといって決して“メリハリのない時間活用”を推奨しているのではない。
メリハリをつけて時間軸を上手く使い“遊び”にも熱心であるべきだと思っている。

2011年7月17日日曜日

沖縄と私

14日から沖縄出張にでた。15日、16日の朝は、例のごとくジョギングをした。出張先でのジョギングは景色が変わって面白い。色々コースを決めて朝、仕事前6時頃から1時間くらい走るわけだが、土曜日は早朝から3時間くらい走った。といっても走ったり、歩いたり無理をしないことが大切だ。セミの声が耳を劈(つんざ)くばかりである。
ジョギングコース、首里城の裏側の景色、観光パンフレッドとは違う目線で美しい。
ホテルから首里城を通って那覇市内に抜け波の上公園を通りホテルに戻った。途中懐かしい場所や変わっていない風景を見ながら、肌を通り過ぎる熱帯特有の生暖かさを感じた。早朝ではあるが既に灼熱の暑さ。汗が瀧のように出て水を補給しながら3ℓくらい飲んだ。人は熱中症を心配するが普段から走っていると自分のペースで走ったり歩いたりで上手く体をコントロールしている。
街中に咲いていた樹、何の木だろう。
若い頃那覇に住み沖縄の人情と親切に触れてからは、私にとっては“特別の土地”である。だからビジネスの規模は小さいけれど、世話になった沖縄に何とかビジネスで恩返しをしたいと思っている。
弊社の医療向けパッケージ“CEIA”が沖縄では売れていない。対象病院が 50施設くらいあるから20施設くらいは使っていただきたいと思っている。が私の想いと現地の代理店とのギャップが大きいなと今回出張して感じた。
システムを普及させるということは余程の“思い入れ”がなければならないのだろう。お客様と私共と代理店の3者がwin-winになるにはどうすれば良いのか、沖縄でのトライアルはまさに全国で普及させるための試金石として思っている。一度初心に戻って考えて見たい。
”いしがんとう”:T字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け魔よけとしている。
14日の夜は30年来付き合っている外間健氏とも一献を傾けた。那覇時代お世話になった一人だ。IT業界での知り合いも含めて異業種仲間4人でよい酒だった。人との交遊を大切にした若い頃の思いは齢とともに薄れてくる。
当時は夜を明かして飲んだ仲間とも最近はせいぜい11時頃、シンデレラである。翌日まで影響するからだ。
いずれにしろ細くとも永く付き合えることは良いことだ。

2011年7月15日金曜日

時が動かないジレンマ

もどかしい。もう4ヶ月を過ぎたのに、何一つ対応できていない震災後遺症。
16年前の阪神大震災では私の実家が半壊(後に解体)したあの時も時間の経過が遅かったがそれでも2ヶ月後くらいには復興の力強い勢いがあった。
皆で力を合わせようという強い思いがあったからだ。
今回の3.11でも被災者は無論、私達国民もいつも協力できることがあればと復興の思いを共有しその絆は非常に強いと思う。が復興対策が遅遅として進まず未だに仮設住宅にも入れない方々が多いと聞いている。
政治が貧困のため復興対策もままならないこともそうだ。
震災復興だけならいずれ時間が解決してくれることだろ。そのことは阪神大震災後の復興で証明されている。しかし今回”時間が動かない”といういらいら原因は“ひょっとしたら回復に何十年もかかるのではないか”と思う原発事故の対応である。当初は放射能の拡散防止の対策であったがこれには一向に決定打がない。
時が止まっている間にツバメたちは既に”2回目の子育て”。頑張れ!!
毎日のように経過が報告されてその都度落胆を繰り返している。
食生活もそうだ。明確な安全基準も打ち出せないままいたずらに時が過ぎる。野菜に高濃度の放射性物質が検出されたというが、我々の食生活に本当に出回っていないのか。
政府の無策のため、安全なものまで否定的になってしまう。
牛肉からセシウムが検出されたと報道された。既に出荷済みであったらしい。チェック機能がまったくないのだ。恐ろしい。
では魚の安全は担保されているのか。四方海で囲まれた近海で取れる魚の棲み処は水続きである。時間経過とともに汚染は広がる。刺身・寿司を好物としていた私もめっぽう食する機会を減らした。本当に食生活をどうすればいいのだ。
遅きに失する政府の対応だが即刻新しい政治体制で挙国一致邁進してほしいと思う。
こうなったら自己防衛のため線量計(ガイガーカウンター)を一戸にいや一人に一台身に着けねばならなくなる。こういう心配は現実身に振りかかってからでは遅いのだ。何とかしてほしい。
無策“菅内閣” 一体どうなっているのだ。毎日毎日弁明している菅内閣。“辞めろコール”を応援歌のつもりで聞いている宰相。党はおろか閣内も纏めきれない人に国難を乗り切れるわけがない。今国にとって最善の震災対策は自身がお辞めになることだと気づいてほしいと切に思う。

2011年7月9日土曜日

うどん文化

私は「蕎麦派」である。とりわけ“ザル蕎麦”がいい。“麺とつゆ”だけの勝負だからそんなに差がないだろうと思うがそれが異う。蕎麦派のうんちくはこの素材に集中される。麺のほど良い固さ、シャキシャキ感は人それぞれ好みがあっていいのだ。つゆも然り。この二つの材料にねぎとわさびが味を添える。“うどん”も嫌いなわけではない。体重を気にして“腹もち”の良さを気にしているわけだ。その点蕎麦は腹もちが悪い。一時間もすればお腹が空いてくるのである。
“うどん”といえば私は関西風うどんに慣れ親しんでいるが、実は飛び石のように全国に“ご当地うどん”があることをご存知だろうか。調べてみたのでご参考に。なお“全国ご当地うどんサミット2011”なるものが 2011年10月2日(日)が滋賀県であるそうだ(興味がある方はTEL:0748-33-6218)
全国にこれだけの”ご当地うどん”があることは驚きだ
出張で豊橋に行った。駅のホテルで打合せをして大阪に“とんぼ返り”をしたのだが帰りの新幹線の本数が少なく昼時だったので昼食をとることにした。ちょうど駅前にご当地B級グルメ“豊橋カレーうどん”の看板があったので入った。周りにお店が少ないことと「お昼どき」もあって、4テーブルしかない小さいお店は一杯だった。少し“行列”に並んで食べることとした。待つこと10分、看板の“豊橋カレーうどん”をオーダした。うどんが来るまでこだわりメニューを見ながら待つ。どんぶりのそこに少量のご飯、その上からうどんが入りカレー汁がかかっているという。具には“鶉の卵を3個”串刺しにした揚げ物。それにちくわのてんぷらがのっている。これだけのものである。“めずらしものがりや”の私にとってはこの一品はユニークであった。珍しさも相まって美味しかった。
ご当地B級グルメ”豊橋カレーうどん”780円


テーブルの上には”うんちく”食べ方
最近ご当地ものの商品が色々開発されて町おこしに一役買っていることが多い。我々も自らのビジネスに工夫を重ね“差別化”をしながらこの時代を乗り切らねばと妙に感じ入ったのであった。

2011年7月7日木曜日

星空のロマン

なかなか計画的に自分のペースで仕事を進めにくい時期だ。今日も突然東京に出張を余儀なくされた。家をでるとき箕面駅の前では大きな笹に多くの短冊で願い事がつるされていた。今日は七夕。ロマンティックだ。が新幹線で東京に移動し街街の景色の中にその風景が見られなかった。ちょっと寂しい想いがした。それにしても政治の混乱はいつまで続き、東京の元気は何時になったらかっての元気を取り戻すのだろう。

家の近くの駅に飾ってあった七夕の飾り
七夕は“たなばた”または“しちせき”と読むらしい。日本、中国、ベトナムなどにおける節供、節日の一つ。旧暦の7月7日の夜のことであるが日本では明治改暦以降、お盆が7月か8月に分かれるように7月7日又は月遅れの8月7日に分かれて七夕祭りが行われる。五節句の一つにも数えられる。
歴史背景は色々の言い伝え(伝説)があるが、私が幼い頃から母親に教えられたのは織女と牽牛の伝説であろう。これはロマンティックだ。年に一度7月7日だけ織女と牽牛は会うことをゆるされ天の川に橋を架けてくれ会うことができたという伝説だ。幼い頃からそのことを想い星空を眺めたものだ。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離し年に1度だけ逢わせたが、その日雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれ催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている。

数々の想いと願いをこめて短冊が・・・

子供達の書き込みに昔を思い出す
















全国的には、短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われている。短冊などを笹に飾る風習は、江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない。技芸の上達を祈る祭であるために、短冊に書いてご利益のある願い事は芸事であるとされる。
今夜は雨の七夕。織女と牽牛は逢うこともなかった。

2011年7月5日火曜日

レアアース(希土類)巨大鉱床発見!!

4日月曜は富山県高岡に出張した。弊社の医療機器管理システム“CEIA”の販売に関し、A医療機器商社の会長にお会いした。不思議なものだ。瞬間で“何か糸で繋がれた関係”なのだと思うことが時々ある。そういう意味では今日は良い日だったとおもう。是非ビジネスに繋がればと思っている。

我々エレクトロニクスの分野で仕事をしている者にとっては夢のような話が今日(月曜日)の日経に出ていた。東京大学の研究チームが太平洋の海底で大規模なレアアース(希土類)の巨大鉱床を発見したというのだ。
レアアースとは聞きなれない言葉だが、今回発見されたのは先端技術の高速化・高効率化・高性能化にとっては欠かせない「重希土類」を多く含む海底鉱床だという。

何故この金属がそんなに話題にされているかというと埋蔵量が他の類に比して圧倒的に希少であることと、そのレアアースの生産量の9割以上を中国が占めているのだ。
それだけではない。中国以外の生産国(大半が発展途上国)のものを中国がひそかに買占めを図っているのだ。
先端技術の心臓部材を中国に独占されれば先端技術諸国は中国の言いなりになるリスクをはらんでいる。凄いぞ日本!さすが東大。

今回の発見はハワイ沖とタヒチ島で大半は公海と見られている。
水深は3500m~6000mで2箇所の合計面積は1100万平方km、推定埋蔵量が約1000億トンと試算される。
これは現在推定される陸上の埋蔵量の1000倍だ。
発見した鉱床を開発できれば資源供給の多様化や安定に繋がる。
重希土類の大半は中国南部の1つの鉱床で生産されるが、新鉱床の濃度は中国の2倍、埋蔵量1000倍。いつになく朗報だ。

本来地球資源は政治の駆け引きであってはならない。これを広く世界に開放して自由な競争を生み出すものでなくてはならない。そういう意味で“朗報”だと思う。暗いニュースの続く日本。ちょっと先のことだが、これも元気な夢を現実にする話題だと思う。

日本の海底探索技術はとりわけ進んでいる。資源の少ない海洋に囲まれた国であるからこそそれが言える。海底からレアアースを採掘するには海上の船から長い管を下げて海底の泥を吸い上げる必要があるが、泥からレアアースの分離も数時間かければ簡単に出来る。
公海のため国連の国際海底機構で鉱区を確保する必要があるが、国際的な協調の下、是非主導権を持って全世界の為に推進してほしいと願うし、私達は夢を持って見守ってゆきたいと思う。

2011年7月3日日曜日

無策政府で円高止まらず

日曜日。雨が降りそうなどんよりとした天気だったので早めに走ることとした。豊中を過ぎたあたりでこの夏初めてのセミの声を聞いた。
昨年のブログには7月1日に自宅近くで“あぶらせみ”の声を聞いたと書いてあったが、今日は7月2日。実に正確に鳴き始めるものだ。そういえば先週くらいまで箕面川ではホタルが目を楽しませてくれたがぱったりいなくなった。季節はめまぐるしく移り“主人公”が変わっていくのだ。
途中少し雨がパラついたが帰宅の昼頃には晴れ間も見えてきた。
気温は既に30度くらいの体感だ。蒸し暑い。 
田植えから2週間、もう30cm位に育っていた。
「東日本大震災で日本の危機なのに、なぜ円高になるんだ?」。多くの人がそう思っていることだろう。私もそう思う。
しかし最近の円相場は「その国の経済力や国力を反映する」などという通俗的なイメージでは語れなくなってきたのだろう。
今回の被害での国内損保業界の支払予想額は6000億円強。大手損保3社の手元資金は1兆円近くあるため、「わざわざ海外の資産を売ってまで国内に資金を戻す可能性が低い」と市場は見ている。
と同時に日本が現在年間10兆円を超える経常収支黒字大国(2010年は17兆円の黒字)であることが市場円高要因を作っていると見られている。
教科書風に言うと円相場は外貨の供給曲線と需要曲線の均衡点で決まるわけだが、なんらかの事情で投資家の外貨需要が弱まり均衡点は円高に移動してしまっている。大筋このようなことだろうと言われている。

もう少し簡単に言うと、二国間(日米)の通貨量の比率が為替に影響するのである。例えばドルが相対的に円より少なくなればドルの希少性が高まりドル高(円安)になる。その理屈で言えば米国のQE2(量的金融緩和第2弾)は6月末で終わるから、ドルは相対的に減少しドル高傾向になるはずだ。
「にもかかわらず、円高になっているのはなぜか。」
ひとつには日銀が震災後の通貨増発方針を転換して、このところ円の量を減らしているからだ。
また、米国はQE2終了後もあまり通貨量を絞らない見通しだという。となれば今後も円高圧力が続くと見るのが自然だ。
加えて、今日のNHK討論番組でも民主党岡田幹事長が赤字国債の発行に必要な「特例公債法案」について早急に成立させたい意向を述べた。
政府は復興のために国債を出して、直後に増税すると見られている。そうなると“金利が高くなる可能性”があり、それは“円高に作用”する。
日本銀行が金融緩和すれば円高を阻止できるが、今のところその気配はない。日銀の“円の増発拒否”の姿勢は明確なので、円が相対的に少なくなり円高に動く可能性が高い。
となると、輸出の足を引っ張り景気回復に水を差す。
日本は大震災後に、政策対応のまずさで二度殺されるだろう。