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IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2013年2月11日月曜日

泣くこと

最近徳島、淡路に行く機会が多く大橋を渡ることが増えた。


先週はHISCOで洲本温泉に行ったり、連休は娘のフィアンセが自宅に来るというので大わらわだった。
普段手抜きしている部屋を大掃除。こういうイベントがあるからお蔭で綺麗になった。
その間もジョギングしてストレスを解消しているが、ここちょっとバテ気味。
無理をしてはダメということかな。

北淡震災記念公園での生々しい現場を見るにつけ、思い出して涙が止まらなかった。
この世に生を受けた赤ちゃんが一番最初に喋ることばは“泣く”こと。
痛くて泣く、お腹がすいて泣く、眠たければ泣く。
そう思えば、泣くことが我々人類が最初に発する“ことば”だ。
すごい感動ではないか。

洲本の海岸の早朝、人影もなく静かな波打ち際で一人たたずんだ
ある日静かな電車の中で突然乳乳母車に乗った
赤ちゃんが泣きだした。
若いお母さんがあやすが泣き止もうとしない。
きっとお漏らしして気持ちが悪いのだろう。
とか勝手に想像しながら、泣いてもいいよ、
誰も迷惑してないから、慌てずに“どうして泣いているのか”ゆっくり聞いてあげなさい。
お母さんに心の中でそう言って励ましてやった。

赤ちゃんが生まれたときの一番の表現方法は
“泣くこと”だ。
それから短い時間に沢山の“ことば”を覚えやがて“がまん”することも覚える。
そうして大人になるまで我々は本当にたくさんの “がまん”することを覚えた。
生きていることは“がまん”する事ではないか
とまで思ってしまう。
我々は日常生活の中で、“我慢”することで、
幸せを他の人とシェアリングすることもあるし、
その分誰かを“幸せ”にしていることもあるだろうと納得している。

でも時々“我慢”出来ないこともあるだろう。
それが色々な事件を生んでいる。
最近の世の中“心配事”が多い。
身近な家族・兄弟親戚と言われる血縁で事件が起こっている。
想像を絶することが安易に起こってしまう“今”を憂うのは私だけだろうか。
どうして短絡してしまうのか、当事者だけの問題だけではなく社会の風潮も含め、根深いものがあるように思う。

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