一緒に考えましょう・・・

IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2013年5月31日金曜日

異才たち

想いでのビートルズ”ジョンレノン”(写真集から転用)

ジョンレノン、青春の“想い出の宝庫”だ。
学生時代“サン・フレール”という同好会を結成した。
ピアノ・ベース・フルート・テナーサックス・ボーカルでジャズの世界だった。
その頃ビートルズが全盛で若者は熱中したものだ。

ある時期、私はそのブームを冷ややかに見ていた。
そして“YESTERDY”という曲に出逢った時に、衝動に駆られた。
耳慣れないコード(和音)進行なのだ。メジャーコード(D)からマイナーコード(Dマイナー)に移ることなどあまり好まれなかったがビートルズの曲は違った。
その曲想が何とも新鮮に映ったのだ。
それ以来ビートルズの虜になり、今でも車には
ビートルズのCDが流れている。


全国的に”梅雨入り”、あじさいの出番だ。

どんな世界でも”革新”を起こすことの難しさと非凡さは変わらない。
音楽の世界では松任谷由美が長い間多くの心をつかんでいるのも”稀なる才能”だ。

”ビートルズ”のジョンレノンは音楽の世界とは
違った世界でも異才を放っていた。
当時のアメリカ大統領“ニクソン”にして”目の上のたんこぶ”と言わせたのだ。
平和主義者でありつづけたジョンはヨーコと共に反戦活動家でもあった。
そして当時のニクソンに反対して活動を続けた。
ミッチェル司法長官は彼を黙らせるよう指示を受けたが“ジョンを殺してもメッセージが残る”として彼に手を加えなかったと書物に残されている。
やがて彼は熱狂的なファンに暗殺されるわけだが本当のところは判らない。
ただ言えることは彼の音楽は何時の時代にも永遠に残ってゆく。

“異才”とはそういうものだろう。

2013年5月30日木曜日

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2013年5月28日火曜日

”勇気”を有難う

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エベレスト登頂!!!(日本テレビ提供)

三浦雄一郎80歳。
23日、世界最高峰エベレストの山頂標高8848メートルの頂上に到達し、世界最高齢での登頂記録を塗りかえた。
これはまた私に“1つの勇気”を残してくれた。
“限りなく挑戦する心”は80歳の肉体をも超えることができるということ。

“何か”にぶつかった時、我々は健康上を理由に“挑戦する心”を簡単に挫折させることがある。“弱い心”が常に同居しているのだ。
去年の秋、エベレスト登山に向けたトレーニングで訪れたヒマラヤの高地で、持病の不整脈が再発したそうだ。普通はこの時点で”挑戦する心“を奪われてしまう。
しかし彼はその後2度の心臓手術を受けて不整脈を克服したという。
凄い執念としか言いようがない。

ヨットで世界一周した堀江健一も冒険家一人だ。
一見“目立ちたがりや”の一言で済ませてしまいがちだがその為にどれだけ日頃から訓練をしているだろうと思うと頭が下がる。
“勇気づけられる”ということはこういう事なのだろう。

そろそろ”梅雨入りに”緑が映える季節だ。

我々はビジネスで荒海を航海しており幾多の困難を乗り越えて来ている。
時に波が高くもう八方ふさがりになることがある。
どこか遠くに行ってしまいたいと思うこともあるのだ。”しかし待て”。
生きていることの素晴らしさは“この苦難”を乗り越えた先に“素晴らしい「ヒマラヤの景色」が眼下に広がるのだ”と信じることだ。
その先に望みを持てば、どんな苦労も乗り越えられ“活力”に変わるだろう。


「80歳でもまだまだいける。ヒマラヤが眼下に見えて美しい。頑張って、頑張って、頑張ってたどりつきました」というメッセージは私に“勇気”を与えてくれた。

2013年5月25日土曜日

外に打って出る!

水に映える”カキツバタ”公園では咲き誇っていた。

ジョン万次郎。土佐の貧しい漁師の家に生まれ、
14歳の時漁に出て遭難したところをアメリカの捕鯨船に助け出され、そのままアメリカで学問を納め帰国後は日本の開国に尽力した人物である。

群生する”カキツバタ”、花言葉は「幸運が来る」

この少年が日米の懸け橋となるまでの激動の人生をマギー・プロイスが十代向けの児童書として
Heart of a Samurai』というタイトルで出版、
アメリカの子供たちの評判となった。
今や全米の多くの小中学校で教材として採用され
広く読まれるようになっていると聞く。

本の始まりは1841年。日本は鎖国政策を敷いていて、どんな外国人も死の刑罰によって日本に入る
ことは出来ず、また出る事も出来なかった。
こんな時期に、万次郎はアメリカに辿り着き急速に言葉を覚え、差別にも屈せず、親切な捕鯨船の
キャプテンのもとで暮らしていた。

この物語の真の意味は彼が250年もの鎖国政策の中にあって西洋文化を理解し、その後日本の開国にあたり日米懸け橋として活躍した人物である事にある。

日本の玄関口”東京駅”は今や観光地。高層ビルとの対称が見事!

開国からわずか160年。
今や日本にもボーダレスの時代が到来し世界中の
企業が行き交うようになった。
関税撤廃の波である。
経産省は“日本の高い技術力”を再評価し“IT
融合化6分野”(農業・医療・ロボット・コミュニティ・コンテンツ・交通システム)を強化する方針を立てた。
”守り”の農業から”IT融合化”によって”農業を輸出する”。そんな“波”を予感するのである。
日本の優秀な技術に今一度スポットを当てて官民こぞって世界に打って出る。
これこそが“日本の再生”にとって必要だろう。

既に“守りの時代ではない”。
中小企業にとっても“世界に打って出る”チャンスはいくらでもあると思う。

2013年5月20日月曜日

失ったもの

久しぶりに雄姿を見せた”世界文化遺産”


先週もあっという間に過ぎた。
毎日が忙しく過ぎているが何か物足りないのは何故だろう。
欲張りなのかしれないけれど、もっと存在価値がある筈だと思ったりする。
人のために何かできることがある筈だと思う齢になってきたのだ。
所詮与えられた時間は平等、一日24時間しかない。
それを一分たりとも疎かにしないことが精いっぱいの努力だと思う。

ホテルの池に映った”紅色”のつつじ 

先週も総会が続いた。
HISCO協同組合 http://www.hisco.jp/ 
JASPA連合会  www.jaspanet.or. 
の総会が開催され、多くの仲間と会う事ができた。
幸せなことだと思う。が何か物足りない。
何だろう。
結局“勝ち組”の集まりではないか。
もう一歩踏み込んだ会話があれば良いのでは・・・
 企業が抱えている問題に限らず社会が抱えている問題まで踏み込んだ会話がどこまでできるのだろうかと思うのだ。


総会後の”懇親”話題が弾むが・・・・・

私は“安心安全”をキーワードに何ができるかに
力を注ぎたいとずっと思っている。
”思い込んでいる”という方が正しいだろう。

“のど元過ぎると・・・”とはよく使う言葉だ。
福島で“亡くしたもの”、“戻らないもの”が
何であるのかもそうである。
“安全安心”をどう担保するのか。
忘れてはいけない経験を次世代にどう受け継いで
ゆけばいいのか。本当に忘れてはならないことだ。

犬の避難生活を支援するNPOのニュースを見た。
人の命の大切さと同時に“弱者”に対する配慮も
欠かしてはならない。
避難している多くの犬が引き取り手に遭えず年老いてゆく。
自然が起こした試練にどう取り組むのか問われている。