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IT総合プロデューサーの小幡忠信です。日常目にして、耳にして感じた社会での出来事や話題・疑問について、ITだけの枠にこだわらず多岐に渡る分野において意見や感想など発信していきたいと思います。

2011年4月17日日曜日

生きのびる力

土曜日から“愛犬らん”は家族と実家に帰り、居ない。寂しいけれど今朝はゆっくりと寝ることが出来た。たまにはいい事だ。まわりに影響されることなく今日は存分に走ることにした。まず五月山まで走り猪名川を下った。ここまではいつものコースだが何故か海が見たくなって、猪名川の果て大阪湾まで走ることにした。これは冒険である。多分4時間はかかる。
途中猪名川に「鯉のぼりの川流し(川渡し)」の光景があった、各地で見られるようだが川にたくさんの鯉のぼりが渡される季節行事らしい。春たけなわである。
猪名川で”鯉の流し”風景、春爛漫。
時間に縛られることもなく気楽に走っていったわけだが、下流になるほど何とも言えない悪臭がする。山のふもとの清廉な水が河口近くになるとここまでの臭気に包まれるのかと正直びっくりした。
上流では流れていた水が河口近くでは動かない。止まっているのだ。そのため色が変色し澱んでいる。
政治も経済も国家も企業も“澱む”という例えはこういう状態なのだと思う。
どんどん河口に近づいて行くにつれ、魚が水面から跳ね上がっている。
一匹ではない。沢山の魚が音楽を奏でるようにパシャ・パシャ・パシャって。
水が流れていないので水中の酸素がうんと少ないのだろう。
こういう環境で育っている魚は生命力が強いのかもしれない。そして何代か続くうちその環境で生きていく遺伝子が変異していくのかもしれない。生命の遺伝子はそういうものだろう。
太古から人が生まれ魚が生まれ鳥が生まれたのはまさにそういう環境適応性なのかと変なところで感じ入った。
河口の環境で、“かもや白鷺”も泳いでいる。強い生命力だと思った。
生命が生きていく“限界”というものが仮にあるとすれば、“自分がここまでだ”と思ったらそこで止まる。ここまでなんだろう。生命はそこで“変異”という奥の手を使って環境順応性を図ってゆくのではないかと思う。
地球上の生命が“人類・鳥・魚・動物”いろいろな形で分化して生き延びているのはそういうことだ。
東北も苦労している。この苦労は人類全てが負う試練である。決して他人事ではないことを皆が共有しているはずだ。同時に共有が大きな財産になってゆくと信じてやまない。

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